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【菊地敏幸連載#14】阪神ファンを公言する松井秀喜を外した時点でもう流れが悪かった

東スポWEB 2024年8月1日 11時11分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(14)】1992年のドラフト会議は阪神にとっては厳しい結果となりました。1位で大型左腕の安達智次郎投手(兵庫・村野工業高)を指名していますが、石川・星稜の松井秀喜を抽選で外した上でのいわゆるハズレ1位でした。その後、活躍をしてくれれば良かったのですが思い通りにはいかないのがプロ野球の世界です。
そもそも、大の阪神ファンを公言していた松井を外した時点でもう流れが悪かった。これは高校生ですから抽選で外したから仕方がないというだけの話ではないんですよ。最後は運を天に任せるというならいいんですが、そこに至るまでに松井の担当スカウトとして最大限の努力をすべきではないのかと、私は思っていました。

具体的に言えば阪神ファンと分かった時点で早い段階であいさつに出向きアプローチをかける。周囲の人間との関係性を構築する。何なら阪神以外ならプロには行かないとまで言ってもらえるくらいになれば、拘束力はないものの大したものです。

かつて、一緒に仕事をした仲間を批判したいわけではありません。もちろん、それぞれ仕事の仕方は違っていて当然かもしれない。ただ、そういった部分で当時の松井の担当スカウトは出遅れていたというのは事実です。関係者によると阪神が松井の指名絡みで星稜にあいさつに来たのは最後だったと聞いています。

最終的に松井には4球団が競合しました。巨人、中日、阪神、ダイエーの4球団です。たらればはないのですが、阪神が積極的に動いていれば4球団が3にも2にもなったかもしれません。確率が上がっていた可能性はあったはずです。石川県という地域的なこともあり、中日が撤退することはなかったでしょう。巨人は隣県の富山とのご縁が深いとはいえどうだったのか。ダイエーには最高の左打者・王監督がいましたが、手を引いてくれたのかそれは分かりませんが。

私はこのドラフトでは2位指名した竹内昌也投手を担当しています。秋田・本荘高からNTT東北を経て阪神入りしました。3年目の95年に10勝を経験しています。他のスカウトは日大の門奈哲寛投手を推していたのですが、私がひっくり返したような形になりました。1位の安達も左腕なのでかぶってしまうということもあり、私が右の竹内を推薦しました。

竹内は通算8年で202試合に登板。28勝29敗1セーブという成績でした。門奈は巨人に2位指名され通算7年で44試合1勝3敗の成績でした。

竹内はプロ向きというより、人のいい性格でしたね。現在は中日の球団スタッフとして球界に貢献してくれています。

こういった形で徐々に阪神のスカウトとして仕事を積み重ねていく中で、翌93年の藪恵壹の逆指名獲得に成功するなど少しずつ実績を作っていきました。次回は97年ドラフト、2位で後の左腕エース・井川慶(水戸商業高)を獲得した経緯などに触れていきたいと思います。

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