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【フェンシング】団体金メダルの松山恭助 19歳から主将…屈辱の東京五輪後に一変した〝姿勢〟

東スポWEB 2024年8月5日 11時15分

パリ五輪のフェンシング男子フルーレ団体決勝(4日=日本時間5日、グランパレ)が行われ、松山恭助(27=JTB)、飯村一輝(20=慶大)、敷根崇裕(26)、永野雄大(25=ともにネクサス)の日本が、イタリアを45―36を下して初の金メダルを獲得。この競技で今大会日本勢5個目のメダルを最高の色で締めくくった。主将としてチームをけん引した松山は、強い覚悟を持って花の都での〝決闘〟に臨んでいた――。

世界ランキング1位の実力を証明した。準決勝は開催国のフランスに45―37で快勝し、完全アウェーの難所を乗り切った。決勝のイタリア戦は序盤から一進一退の攻防を繰り広げる。第4試合に敷根が逆転を許すも、第6試合に飯村が大量7点を奪い、30―28逆転に成功。最後はアンカーの飯村が試合を決めると、選手たちは熱い抱擁を交わした。

19歳から主将を務め、チームを悲願達成に導いた松山は「正直、まだ誰も実感がわいていない状態。ただ、このメダルの重みはすごく感じていて。物理的な重さもありますし、もちろん思いもある。時間がたてば実感できると思う」とかみしめた。

男子フルーレ界の第一人者・太田雄貴氏の後継者として期待された松山だったが、東京五輪は個人戦で3回戦敗退。団体でも4位に終わり、メダルには届かなかった。「東京でギリギリのところで負けた記憶はずっとあった」。

東京五輪後には、フランス代表で五輪5大会連続出場のエルワン・ルペシュー氏がコーチに就任した。レジェンドの指導を通じて「特別なことをしないというか、自分がやるべきことにしっかり日々向き合って、ベストを出し切る考えになった」と気持ちに変化が芽生えた。

不完全燃焼だった東京五輪のリベンジに燃える松山の思いは、周囲の人たちも感じていた。所属先の担当者は「東京五輪のダメージはすごかったと思うけど、1週間も経過しないうちに『パリに向けてやります』と話していた。当時は頂点を目指すという感じだったけど、今は自分のパフォーマンスを出し切ることを常に話している」と振り返る。生活面でも、その一端をのぞかせていたという。

同担当者は「しゃべり方も自信があるというか、目標が定まったら語尾が『~です』みたいな感じで言い切っていた。若い子だったらいろいろ考えてしゃべることが多いと思うが、彼にはよどみがない。だから信頼できるし、この若さですごいなと思う」と称賛する。

食事管理も徹底しており「シーズン中は自分でしっかりやっているみたい。食事に行く機会があっても『今日はお酒を飲みません』とか『これを食べます』というような感じだった」。どんな時も自分の軸をブラさずに行動した結果が、今回の快挙につながった。

太田氏らを擁した2012年ロンドン五輪は銀メダル。表彰台のテッペンをついに勝ち取った松山は「現実から誰も逃げずに戦い続けたのが、今日の結果になった。自分を含めて誇りに思っている」と胸を張った。

ひと皮むけたリーダーが、パリの地で東京五輪の雪辱を果たした。

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