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〝襲撃された〟アントニオ猪木の控室…タイガー・ジェット・シンに投げつけられたミカン 大荒れ75年3月NWF王座戦

東スポWEB 2024年8月14日 10時39分

【昭和~平成スター列伝】“燃える闘魂”こと故アントニオ猪木さん(享年79)の全盛期だった1970年代、NWFヘビー級王座はまさに“最強の称号”だった。既存の価値や名誉にこだわることなく、次々と強豪を退けて独自でベルトの価値を高めていった。

特に73年から壮絶な抗争を展開した“狂虎”タイガー・ジェット・シンとは数多くの名勝負を残した。初めて同王座戦で敗北を喫したのもシンだった。75年2月にNWFからシンとの防衛戦を命じられるもダーティーなファイトに「挑戦者の資格なし」と拒否。王座を返上してしまう。その結果、同年3月13日広島でシンとの王座決定戦が実現した。ところがまさかの結果が待っていた。

『ファン待望のNWF世界ヘビー級選手権争奪戦は、広島県体育館に超満員1万2000人の大観衆を集めて行われ、意外にもシンのインド流ストロングスタイルと猪木の正統ストロングスタイルが真っ向からぶつかり合う技の応酬でスタート。しかし10分過ぎからシンのラフファイトが爆発。ケイ動脈をチョークで絞め上げる。鉄柱攻撃、イス攻撃など場外で荒れ狂い大流血の乱闘劇に。猪木はバックドロップでいったんピンチを脱出するが、シンは右腕のサポーターに入れた凶器で一撃。フラフラとリングに上がってくる猪木に豪快なブレーンバスター。カウント2で返した猪木だが、ロープに振られパンチを食らうとダウン。19分26秒、シンの軍門に下ってしまった。一瞬、水を打ったように静まり返る観客席。それから怒りが爆発しジュースのビン、ミカンがシンに投げつけられ、猪木の控え室はドア、窓がガンガン叩かれた。猪木は「電気を消せ」とツバを吐いた』(抜粋)

当時のファンにとって猪木の敗戦は、それほどの「大事件」だったのだ。同20日蔵前国技館の再戦も、荒れ狂ったシンの凶器攻撃の前に大流血に追い込まれ、両者リングアウトでドロー。王座奪取はならず、ベルトの海外流出を許してしまう。

しかし同年6月26日蔵前国技館では予想に反したクリーンな激闘の末に猪木が勝利。シンは試合後に猪木の手を上げ、潔く負けを認めた。くしくもモハメド・アリ戦のちょうど1年前だった。その後に猪木は80年2月8日東京体育館でスタン・ハンセンに敗れるまで実に27度の防衛(通算44回防衛)を重ねながら、翌年から異種格闘技戦路線へと進出する。

70年代、NWFのベルトは他のどんな王座よりも輝きを放つ日本マット界の“至宝”であった。 (敬称略)

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