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【菊地敏幸連載#22】野村監督から沖原の指名順を上げろとの指示!これは困ったな

東スポWEB 2024年8月16日 11時9分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(22)】2000年ドラフトで私は4位・赤星憲広(愛知・大府高→亜細亜大→JR東日本)を担当し、結果的には予定通り交渉権を獲得することに成功しました。ただ、舞台裏ではいろいろなことがありました。

01年から1、2位は大学・社会人から自由獲得枠で2人まで事前に指名可能。さらに高校生を含めた有力選手ら最高の素材がそれぞれ12球団に消えていきます。そこからはリストに残った選手の中から、当該シーズン順位の折り返しで各球団の補強ポイントに合致する選手をバランスよく獲得していくという流れになります。

担当スカウトとしては球団に強く推したい選手であっても、全体の会議で優先順位が前後したり、監督の希望で指名順が変わり、予定していた選手を取り逃がすなんて可能性もあり得るわけです。

00年は逆指名1位・藤田太陽投手(川崎製鉄千葉)、2位・伊達昌司(プリンスホテル)、3位・狩野恵輔(前橋工高)とドラフトが進んでいきました。ここで私は赤星を指名する方針でシミュレーションしていました。

そこでです。当時の野村克也監督がショートの獲得にこだわりを持っていて、沖原佳典(西条高→亜細亜大→NTT関東→NTT東日本)の指名順を上げろと指示が入ったんです。リストでは赤星より下に沖原の名前が入っているわけですから、これは困ったなと…。

野村監督はシドニー五輪で遊撃手として活躍した沖原に注目していました。グループリーグの韓国戦で鄭珉台(後に巨人でもプレー)から先頭打者本塁打を記録するなど活躍していました。相当いい印象を持っていたのでしょう。

当時、私自身がドラフト会議の席についていました。だから監督と話ができたからよかったんですが、私は「沖原は間違いなく獲れますから」と、当初の方針通りにドラフトを進めてもらいました。

沖原はドラフト時点で28歳のオールドルーキーでした。大企業のNTT東日本に所属しているわけですから、普通は他球団も二の足を踏みます。ただ、他の球団も指名してくる可能性がないわけではない。こちらの方でNTT東日本サイドに話を通していて、指名の約束もしてありましたので大丈夫だという確信はありました。

ここで沖原の指名順を上げて、他球団が赤星の指名順を上げてきたら獲得はフイになってしまう。沖原サイドには下位指名でも契約金、背番号も恥ずかしくないものを用意すると水面下で話をつけていました。

事実、4位の赤星は背番号53、6位の沖原は8です。高年収の企業チーム出身の選手とあって背番号も契約金も上位指名と同等にすると話してありました。普通の大人であれば「NTTにいた方がいいよ」と思う人が大半だと思います。それでも、すでに結婚していた沖原は「やっぱりプロにチャレンジしたい」と阪神入りに前向きでした。

奥さんも明るい性格で「沖原についていきます。そんなに長く活躍できないかもしれませんが頑張ります」と賛同してくれていました。

結果的には社会人出身の即戦力投手2枚、高校生捕手を上位指名し将来のバッテリー候補を整備できた。4位で赤星、6位で沖原、7位で藤本敦士(兵庫・育英高→亜細亜大中退→甲賀総合科学専門学校→デュプロ)と、のちに03年のリーグ優勝の戦力となる選手を滞りなく獲得することに成功しました。

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