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何もしてないのに… 猪木の強烈ビンタ食らった木村健吾 長州提唱「世代闘争」で存在感

東スポWEB 2024年8月18日 10時4分

【プロレス蔵出し写真館】〝稲妻戦士〟木村健悟が7月10日にFacebookで〝リハビリを兼ねて入院中〟と投稿。箸が持てなくなるほど首が悪化し、手術をしたという。まだ退院はしていないようで、ファンは心配している。

2014年には難病に指定されている「黄色靱帯骨化症」で腰を手術した健悟は、歩行に杖を必要としている。長年のプロレス生活での経年劣化だといわれ、プロレスラーのダメージの蓄積は深刻だ。

さて、現役時代の木村健悟はファンから親しまれた〝愛されキャラ〟だった。それは、決して順風満帆とは言えなかったキャリアが影響しているだろう。

今から37年前の1987年(昭和62年)6月12日、いまだに語り草の〝名言のやりとり〟が生まれたときも、健悟は理不尽な対応をされた。

「’87IWGPチャンピオン・シリーズ」でアントニオ猪木がマサ斎藤を破って優勝。正式にタイトル化されたIWGPの初代王者となった。

その直後、斎藤のセコンドに就いていた長州力がリングに上がり、マイクを持って叫び、ゲストとして放送席に座っていた藤波辰巳(現・辰爾)と前田日明をリングに呼び込んだ。健吾(当時)とスーパー・ストロング・マシンも続く。

リング上の主力レスラーが猪木と対峙して場内は騒然だ。

そして――。

「藤波、前田! 今こそ新旧交代じゃないのか。お前たちはかみつかないのか!? 今しかないぞ、俺たちがやるのは!」と長州の名言が飛び出した。

これに対して猪木はベルトを掲げ「両国の皆さん、聞いてくれ~! テメェら、いいか。その気で来るなら、俺は受けてやるぜ。テメェらの力で勝ち取ってみろ、このヤロ~!」と応戦。

前田は「どうせやるんだったら世代闘争と言わんとな、誰が強いか一番強いんか決まるまでやりゃいいんだよ。決まるまで!」と〝らしい〟マイクアピール。

藤波は…。「やるぞー!」とひと言。

前田は後に、連載していた東スポコラムで「新日本に戻ってきた長州さんが世代闘争を提唱した。あの時、誰が何を話すか決まってたんだよ。最初長州さん、次に藤波さん。でも2人とも何を語ったか全然わからない。会場が『今、なに言ったんだ?』って。だんだんアホらしくなって『誰が一番強いか決まるまでやればいいんだよ』と言ったんだ」と明かした。

そして、この流れが収まりかけたとき、猪木から張り手を食らったのが健吾だった。(写真)。マイクで発言もなく、ただ叩かれるだけという〝損〟な役回り。これは何もしなかったがゆえの猪木の檄、〝愛のムチ〟だった(たまたま猪木の前にいたからという説もある)。

健吾は控室で「最初は冷静だった。リングに上がったとたん、猪木さんに殴られてエキサイトした。いい区切りだと思う」と、これを理解していた。

この新旧世代闘争のクライマックスは8月19、20日に両国国技館で「サマーナイトフィーバーin国技館」で行われた5対5イリミネーションマッチ。武藤敬司が急きょ旧世代に組み込まれる不可解さも相まって、話題となった。

ところで、この両国2連戦の前、8月2日の両国大会では猪木VSクラッシャー・バンバン・ビガロのIWGPヘビー級選手権が行われ、王座を防衛した猪木は「よく聞け木村、藤波、長州、前田、ベルトはいつでも用意してるぞ。取りに来い。いいか~!」と絶叫。なぜか健吾が最初に呼ばれ、〝マニアックな〟ファンを喜ばせた。

2011年(平成23年)8月27日には、IGFの両国大会で〝恒例の〟猪木劇場に登場した健悟は切腹パフォーマンスで介錯人を務めた。

健悟は、猪木から重宝されていた(敬称略)。

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