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【新日本】悲願のG1制覇!ザック・セイバーJr. 快挙の裏に〝日本愛〟

東スポWEB 2024年8月19日 6時17分

史上2人目の快挙だ! 新日本プロレス真夏の祭典「G1クライマックス」は18日の東京・両国国技館大会で優勝決定トーナメント・ファイナルが行われ、ザック・セイバーJr.(37)が辻陽太(30)を撃破し初制覇を果たした。日本のプロレスに憧れ続けた英国人レスラーが、2011年のノア留学から13年、新日本参戦8年目にしてついに手にした悲願のビッグタイトル。その裏には、他のどの外国人選手よりも深い〝日本愛〟がある。

激闘に終止符を打ったのは、20年のキャリアで磨き抜いた関節技だった。最後は辻を変型クラーキーキャットに捕獲しギブアップを奪取。「勝ちました!」と日本語で叫んだザックは「1・4はちょっと遠いね。両国タイトルマッチがいいと思う」と、10月14日両国大会でのIWGP世界ヘビー級王座(現王者は内藤哲也)挑戦を表明した。

憧れの異国で栄冠をつかんだ。14歳で地元英国のNWAハンマーロック道場に入門。本場のキャッチレスリングを学ぶ一方で、当時から日本のプロレスに没頭していた。「日本のプロレスに出合わなければ、プロレスを続ける気にも、そもそもレスラーになる気にもならなかったとつくづく思う。英国のレスリングシーンに参加した時からの目標は日本に行くだけでなく、日本のトップに立つことだった」

ノアでの活躍を経て、16年には米WWEにも参戦。世界最大団体の魅力を肌で感じたことが、自身のアイデンティティーを再確認する転機となった。「米国のプロレスはテレビ番組が中心で、侮辱しているわけではなく、ただ文化が違うだけなんだ。だからオファーを丁重にお断りした。なぜなら日本が私にとって唯一の場所であることを、さらに心に刻み込むことになったから」と振り返るザックは、翌17年から新日本を主戦場にした。

これまで多くの外国人選手が海外団体に移籍したが「その後の他団体からのオファーも同じように感じている。いろいろな環境でプロレスをするのが嫌いなわけではない。私は世界中でプロレスをしたいけど、あくまで新日本のレスラーとしてだ」と、〝新日本一筋〟を宣言する。

19年からは日本に定住し、コロナ禍では外国人選手でただ一人、日本にとどまり戦い続けた。日本での生活で学んだ大きな教訓は「ベストを尽くす精神」だと明かす。

「日本ではどんな状況であろうと誰もが一生懸命なので、常に一生懸命にならなければと背中を押される。もしキャリアを終えても日本を離れるということは難しいと感じている。残りの人生、何らかの形で日本で過ごすことになると思う。ヴィーガン居酒屋を持つことも空想しているよ。沖縄は世界で最も好きな場所の一つだから、そこでやるのもいいアイデアかもしれないね」と笑みを浮かべた。

もちろん輝かしいキャリアはまだまだ続くどころか、これからが本番だ。「G1王者、IWGP世界王者として、他のどの外国人レスラーよりも多くのことを成し遂げようと思っている。私ほど日本を理解し、日本を愛しているトップ外国人はいないと思う」

16年大会のケニー・オメガ以来となる史上2人目の外国人選手によるG1制覇により、「ベストテクニカルレスラー」の時代が到来した。

【師弟の絆でつかんだ頂点】原動力の一つとなったのが、ノア時代の師匠・小川良成(57)の存在だ。小川はG1期間中の13日に現役を引退。セレモニーも会見もなく静かにプロレス界から去った。そんな師匠への敬意を込め、辻との試合では小川の得意技だった4の字ジャックナイフ固めを繰り出した。

ザックは「小川良成は私の人生の中で最も大切な人の一人。タッグパートナーとして過ごした時間は、これまでで最も幸せな瞬間の一つだ。彼はこれまで生きてきた中で最も重要なレスラーの一人であり、彼が控えめで最小限の方法で引退しても私は驚かない。だから彼に敬意を表する最善の方法は、G1で優勝することだ」と思いを明かしていた。

試合後のリングでは真っ先に「小川先輩、プロレス人生お疲れさまでした」と口にした。まさに師弟の絆でつかんだ頂点だった。

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