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【フェンシング】パリ五輪躍進の要因は〝猪木イズム〟か プロレス流解説の山口徹氏が明かす「闘魂伝承」

東スポWEB 2024年8月20日 6時4分

躍進の要因は〝猪木イズム〟だった!? パリ五輪では日本のフェンシング勢が大活躍。男子エペ個人の加納虹輝(26=JAL)と男子フルーレ団体が金メダルに輝いたのをはじめ、過去最高となる計5個のメダルを獲得した。一方で、同競技のテレビ中継では、U―20などで日本代表コーチを務める山口徹氏(44)がプロレスワードを交えた〝闘魂解説〟で話題に。故アントニオ猪木さんの大ファンでもある山口氏がインタビューに応じ、日本勢躍進の理由を明かした。

――パリ五輪では日本勢が歴代最高の成績を残した

山口氏(以下、山口)すごくうれしい。個人戦で加納が圧倒的な強さで金メダルを取って、ほかの選手たちに「(日本勢は)いけますよ!」と示してくれた。

――男女通じて団体4種目でメダルを獲得した

山口 どちらかというと、個人戦の方がメダルを取ると思っていた。加納以外にも男子エペの山田優、男子フルーレの松山恭助、女子サーブルの江村美咲が取ってもおかしくないと思っていた。

――日本選手が初出場した1952年のヘルシンキ五輪から、今大会前までに獲得したメダルは合計3つ。いきなりの躍進を遂げた理由は

山口 いくつかあると思う。一つはハード面(設備面)で、(約20年前に)僕らが日本代表だった頃は代表の拠点に、ピストと呼ばれる試合ができるエリアが4つしかなかった。今では(代表拠点の)NTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)イーストに30ピストもある。

――ほかには

山口 外国人コーチの影響が非常に大きい。2017年にフランク・ボアダン(フランス)が日本代表女子フルーレのヘッドコーチに就任した。フランクは、フランスのナショナルチームで担当するカテゴリーの選手たちを毎回勝たせてきて、その国内で〝ゴッド〟と呼ばれていた。(フランスの)一部のコーチの中では「ゴッドが日本に行ったから、日本は絶対にメダルが取れる」と言われていたらしい。

――ほかにも海外出身のコーチがいる

山口 21年の東京五輪男子フルーレ団体金メダルメンバーのエルワン・ルペシュー(フランス)も、大会後に日本代表のコーチに就任した。エルワンは(現役時代に)五輪のメダルをいくつも獲得している。

――これだけ実績のあるコーチを呼べた理由は

山口 青木雄介監督が海外のコーチとのコミュニケーションが非常にうまくて(長年にわたって)信頼関係を築き上げてきた。青木監督が「日本で一緒に戦ってくれないか」と話した時に説得力があるから(外国人コーチは)「青木さんがいるなら行くよ」みたいな感じで来てくれた。

――海外コーチの指導力は

山口 僕のイメージだけど、日本人コーチは実績が正直ない中で手探りになる。指導する言葉の節々が「こうだと思う」という感じで言い切れない。外国人コーチだと選手としてもそうだし、コーチとしての実績を持っている人たちが多くて、言葉に迷いがない。「こうだ」と言い切ってくれる。

――ところで、解説中にプロレスのワードが飛び出した。その理由は

山口 フェンシングをしてきて、ただ地味なことをやって勝ち負けを競い合っても、マイナー競技から逸脱できないと思っていた。そうした中で、どれぐらい(選手たちが)今やっていることが、すごいことなのかを知ってもらいたかった。たとえば、手首をぐにゃっと曲げた状態で突きに行くことの難しさを「プロレスだったらギブアップしてますよ」みたいな。偶然チャンネルをつけた人とかに、競技に対して面白そうな印象を持ってもらいたかった。

――アンダーカテゴリーの選手を指導する中でも〝猪木イズム〟を浸透させているとか…

山口 普段の練習でも「ただポイントを取って次のスタートラインに戻るんじゃなくて、見ている人の胸を熱くさせるような声が出せるかどうか」と伝えている。審判は人間なので(声を出すと)時に感情が揺さぶられてジャッジが自分たちに偏ることもある。(審判を)そういう思いにさせるぐらいのプレーヤーになってほしいと、選手たちには伝えている。

――余談だが、青木監督も猪木信者だとか

山口(22年10月に)アントニオ猪木さんが亡くなった後、青木監督はめちゃくちゃ落ち込んでいた。猪木さんが亡くなって特別誌がいっぱい売られたから買って、青木監督のもとに持って行ったけど「申し訳ないけど、まだ見られないわ。まだ(死を)受け入れられてないんだ…」とかなり落ち込んでいた。

☆やまぐち・とおる 1979年9月13日生まれ。和歌山県出身。県立和歌山北高1年時に、フェンシング部で競技を始める。社会人時代の2004年には和歌山クラブ所属でW杯福井大会で男子フルーレ個人3位。同年のアジア選手権でもフルーレで個人3位、団体2位に輝いた。10年の千葉国体後に現役引退。15年からU―20、U―17などで日本代表コーチを務める。幼少期からプロレスが好きで、人生で一番影響を受けたレスラーは22年10月に亡くなった故アントニオ猪木さん。パリ五輪ではフェンシングのテレビ中継で解説を担当し「プロレスだったら…」「半沢直樹」などと競技と関係のないワードを連発して好評を博した。

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