Infoseek 楽天

【ザ・グレート・カブキ連載#4】こてっちゃん相手にデビュー戦も緊張で何もできず終わった

東スポWEB 2024年8月22日 16時10分

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(4)】デビューを目指して日々、ハードな練習をしていました。朝はみんなで赤坂の合宿所を出て渋谷のリキパレスに行き、昼過ぎまで練習します。ただ新弟子は厳しいトレーニングに参って逃げ出すヤツも多かったかな。自分、米良明久が正式にデビューしたのは1964年10月31日です。しかし、その前の8月に地方の大会で、バトルロイヤルに出場しているんです。

当時のバトルロイヤルは「そろそろコイツはデビューしても大丈夫じゃないか?」と思われると参加するのが常になっていました。初めて人が見ているリングに上がるっていうのはえらい興奮するものなんです。すると「おかしいな、こんな息が続かないはずはないのに…」っていうくらいに緊張しちゃうもの。それに慣れるためにバトルロイヤルに上がってボコボコにやられるっていう。洗礼…みたいなもんですよね。それでリングに慣らすんですよ。

その後、宮城県石巻市の石巻小学校校庭につくった特設リングでこてっちゃん(山本小鉄)相手に正式デビューしました。入門から約7か月だから早かったと思いますよ。自分の動きが良かったんじゃないかな(笑い)。というか、自分はずっと柔道をやっていて受け身をポンポン取れたから「大丈夫だ」って判断されたんでしょう。当時は相撲から転向してくる人が多くて。彼らはなかなか受け身ができなかったからね。

少し話はそれるけど、その後、外国人とやらされるのも早かった。試合だけじゃなくて、例えばシリーズ前に新しい外国人選手が来ると新聞記者がその写真を撮りに来るでしょ? 公開練習で。その時も「お前が上がれ」って言われて受け身を取っていましたよ。

デビュー戦は「相手はこてっちゃんだし、大丈夫だろう」と思っていたけど、何百人もの観客が見てると思ったら緊張して、3分くらいで息が上がっちゃったんですよね。変なところで力が入っちゃって「こんなわけないのに…」って思っていたらあっという間に、何もしないうちに終わっちゃいました。

こてっちゃんは自分より7歳上でデビューは1年3か月も早い先輩でした。普段は優しい人でめったに怒ることはなかったですよ。あんまり外へ出かけない人で、夕食のちゃんこが終わって、先輩たちみんなが飲みに出ていっても、いつも合宿所にいてね。ビールが好きでよく飲んでましたよ。自分も新弟子で合宿所にいたから、よく一緒にテレビを見ながらビールを飲んでいました。年齢? そこはもう時効でしょう(笑い)。

その後、デビューから試合を重ねていって、リングネームをもらうことになるんです。それまでは本名の「米良明久」としてリングに上がっていたんだけど…。

この記事の関連ニュース