Infoseek 楽天

超異例!〝近鉄色〟がちりばめられた巨人・岩隈久志の引退会見【平成球界裏面史】

東スポWEB 2024年8月25日 9時4分

【平成球界裏面史 近鉄編67】令和2年(2020年)10月23日、巨人の岩隈久志投手が東京ドームで引退会見を開いた。近鉄、楽天、マリナーズ、巨人のユニホームを経験しプロキャリアは21年。その中でも最も思い入れがあった期間といえば、最初の5年間を過ごした近鉄時代となるだろう。

あくまで巨人の選手としての引退会見ではあった。だが、球団からの配慮も多々あって、会見は近鉄色がちりばめられた内容となった。

「今はなくなってしまいましたが、いてまえ打線で勢いのあるチーム。古久保(健二)さんのミットを目がけて投げていた記憶が瞬時によみがえります。近鉄ファンの熱い応援は今でも忘れません。本当にそういう思いを持ちながら、楽天、メジャーリーグのマリナーズ、巨人に来ても、最後の最後まで、その気持ちを持って戦わせてもらったので、感謝しかないです」

岩隈は平成9年(1997年)ドラフト5位で東京・堀越学園から近鉄に入団。東京の都会っ子が大阪の河内の藤井寺球場に隣接する球友寮で、いてまえ軍団の一員としてプロ野球選手としてのスタートを切った。4年目の平成13年(01年)には頭角を表し近鉄最後のリーグ優勝に貢献。近鉄最後のシーズンとなった平成16年(04年)には開幕からの12連勝を含む15勝を挙げるなど、大エースに成長していた。

岩隈の引退によってその当時、球友寮で切磋琢磨した近鉄猛牛戦士で現役を継続していたのはたったの2人。ヤクルトに所属していた坂口智隆外野手、近藤一樹投手のみとなった。

「最後までもがいてくれていますから。僕は39歳で引退しますけれども、もっともっと、長くやってもらえるように応援したいなと思います」とエールを送った。何度も言うが、巨人・岩隈投手の引退会見での質疑に近鉄の話題がこれだけちりばめられたというのは、異例と表現しても間違いではないはずだ。

会見の冒頭には、原辰徳監督がサプライズで登壇し花束を贈呈してくれた。「21年間、後半の数年間は非常につらいリハビリ、もう一度復活という中でやってきた。私の中で最も印象に残ってるのはWBCの09年。私の中ではピッチャーのMVPは岩隈、クマさんだと」と心の込もった言葉を贈られた。

原監督自身、平成30年(18年)オフに3度目の巨人監督就任に際し、最初に調査したのは岩隈の動向だった。右肩の手術明けで先行きが不安な中、真っ先に声をかけ可能性に賭けてくれた恩は忘れられない。

現役21年で日米通算170勝を積み重ねてきた大投手の引退会見。これだけ盛りだくさんで盛大な会見はそんなにはない。今は消滅してしまった近鉄バファローズの話題のこれだけの時間を割いた会見というのも、もうこの先にはないのかもしれない。

ところがである。球界の盟主たる巨人軍は粋だった。原監督の登壇というサプライズに加えて、巨人球団広報部は第2弾のサプライズを着々と準備していた。

この当時、巨人には岩隈と近鉄、楽天でチームメートだった朝井秀樹広報も在籍していた。会見の最後になると、その朝井広報が指名を受けマイクを握るという展開が待っていた。心のこもったスピーチが聞けるのだろう。そこまでは誰もが予想可能だった。だが、この後、湿っぽくなりがちな引退会見がこんなに盛り上がるとは予想だけにできなかったはずだ。

この記事の関連ニュース