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〝シュンツマスター〟新津潔 今も座右の銘にしている「麻雀は背骨で打て」【前編】

東スポWEB 2024年8月25日 10時6分

【レジェン雀士からの金言】麻雀を覚えたのは中学生の頃。法政大学入学後、麻雀対局を記録する牌譜(ぱいふ)のアルバイトを始めた。

「週刊誌が売れていた時代で、そこに牌譜もよく載っていたんです。牌譜の仕事は月に10日ぐらいはあって、ギャラも悪くなかったんですよね」
そんな日々を過ごす中、新津の麻雀人生に大きな影響を与えることになるプロ雀士と出会った。
「古川凱章先生とは、竹書房が主催していた最高位戦というタイトル戦の牌譜を取っていた時が最初の出会いでした。自分たちが楽しんでやってきた麻雀とは異なる、あまり見たことがない難しい麻雀を打たれる人なんだなというのが第一印象でしたね」

以来、古川が担当していた週刊ポストの連載「有名人勝ち抜き麻雀大会」の牌譜も手伝うようになった。当時の麻雀界で新津ら若手が先生と呼んでいたのは、古川の他に小島武夫、灘麻太郎の3人だったそうだ。

「中でも古川先生は独特で、競技麻雀とはどういうものなのかとずっと考えていた人。麻雀を競技として体系化しようとした“競技麻雀の祖”という感じでしたね。麻雀といえばギャンブルと見られていた時代だったんで、競技麻雀における強さの基準を誰もわかっていなかったんです」

様々なことを教わった。「頭で考える麻雀ではなく、もっと骨の髄から麻雀を打てとよく言われた」そうで、今も古川の言葉「麻雀は背骨で打て」を座右の銘にしている。

そんな新津が長らく代表を務める最高位戦日本プロ麻雀協会誕生の歴史は1976年、「月刊近代麻雀」(竹書房)が創設したタイトル戦「最高位戦」にさかのぼる。「1984年に最高位戦の主催運営を竹書房がやめると宣言したので、東大式の井出洋介さんをはじめ、デビュー当時から活躍していた金子正輝さん、永世最高位でもある飯田正人さんらが中心となって引き継ぎたいということになったんです」と85年からは参加選手の自主運営で継続することになった。中でも最高位を10回獲得した飯田は新津にとって心の支えだった。

「飯田さんは麻雀も強く人格者で、まさに最高位戦のレジェンドでした。携帯電話もない時代、飯田さんは家に帰らないことが多かったので、連絡を取るためには行きつけのサウナに連絡するしかない。飯田さん来てる?みたいな感じ(笑い)。井出さんが新たにプロ団体を立ち上げてから、私が最高位戦の代表に選出されたんですが、飯田さんは麻雀以外にもいろんな話をよくしてくれました。私にとっては金子、飯田が最高位戦を引っ張ってくれたイメージが強いですね」

こう謙遜するが、新津自身、97年から28年間、団体の代表として粉骨砕身してきた。2013年には、63歳で他界された飯田の功績をたたえ、飯田が愛した競技麻雀の原点ともいわれる旧最高位戦ルール(一発、裏ドラなし)で開催されるタイトル戦「最高位戦Classic」を「飯田正人杯・最高位戦Classic」と名称変更した。

「競技麻雀をやる人間が考えることは同じで、最終的にはどんなルールであれば、持っている力を発揮できるのかということ。最初に議論されたことはリーチ・一発・ツモ・裏ドラ3といったアガリが出た時、これはただのツキだからなくせばいいんじゃないという考え方。でもなくしたところで配牌の良しあしもあれば、ツモの偏りもあるわけで、その比重が大きくなるだけ。ツキと雀力のバランスをどうやって保っていくのかは本当に難しくて、答えはないというのが私の結論。結局ツキがなくなることは絶対にないんでね。だから私にとっても『最高位戦Classic』はシンプルだからこそ、まさに考える面白さを知った原点かもしれないね」

長らく業界を引っ張ってきた新津の異名は“シュンツマスター”。呼ばれ始めたきっかけは分からないと苦笑する。

「シュンツ手が好きなことは確かですけどね。裏を返せば、七対子が苦手。七対子は難しいので、ちゃんとできる人はスゴイなと思いますね」

シュンツ作りのコツは――。

「古川さんがよく使っていた言葉で言えば“わたり”が肝。シャンテン数(テンパイまでに必要な有効牌の数)を変えずに手牌を変化させていくことをわたりと呼んでいたんですが、基本的には余っている数牌にくっつけていって、メンツを横に伸ばしていく。シュンツが横に伸びていくことは楽しいし、組み合わせ作りの基本なのかな」

にいつ・きよし 1956年1月28日、東京都生まれ。血液型=AB。主な獲得タイトルは第19期王位、第2期發王位、第2・8・13回MONDO名人戦、麻雀最強戦2020キングオブ鉄人他。著書に「麻雀押し引きの戦術」。代表を務める最高位戦日本プロ麻雀協会は東京本部を中心に全国6か所に支部を構え、25年には米ロサンゼルス支部の設立も予定している。23年には最高位戦スタジオを新設。24年にはネットワーク対戦麻雀ゲーム「セガNET麻雀 MJ」とスポンサー契約を締結するなど様々な事業も展開中。

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