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アンドレが「ジャイアント・マシン」に大変身! 仕掛け人はやっぱり…上井文彦氏が核心証言

東スポWEB 2024年8月25日 10時6分

【プロレス蔵出し写真館】8月24日、越中詩郎がデビュー45周年記念大会を行った。全日本プロレスでデビューした越中は、新日本プロレスへ移籍してからUWFの高田伸彦(後に延彦)と好勝負を演じ、新日本でのポジションを確立させた。

越中が新日本へ移籍して第1戦を迎えたのは今から39年前、1985年(昭和60年)8月23日の東村山市民スポーツセンター大会の第4試合。

そして、この日のメインはアントニオ猪木&木村健吾(後の健悟)組VSハクソー・ヒギンズ&トニー・セントクレアー組だったが、この日最も観客が沸いたのは、セミファイナル前の坂口征二のシングルマッチ。坂口征二と相対したのは…。

若松市政が先導し、登場したのは、なんとマシン軍団のマスクをかぶった大巨人。アンドレ・ザ・ジャイアントが変身したジャイアント・マシンだ。なぜアンドレがマスクをかぶっているのか…。観客をはじめ我々、報道陣も混乱だ。

〝アンドレ〟マシンは坂口にジャイアントボンバー(ラリアート)を見舞い、わずか129秒でフォール勝ち。さらに、メインにも乱入して、猪木にもラリアートをさく裂させ首を刈った。さらに驚かされたのは〝もう一機〟大型選手が増殖していたのだ。

試合後、猪木は「ちくしょう。今日は完全に参った。ショックで立ち上がれない感じだ。もう一人は(マスクド)スーパースターのようだな」と脱帽しながら、正体を見破っていた。

してやったりのマネジャーの若松は「見たかオレたちの力を! これが再編成した組織だ!」とうるさいぐらい、声高に叫んだ。

マシン軍団は、前年の84年に初登場以来、増殖を重ね新日本マットを席巻していたが、代表格のスーパー・ストロング・マシン(平田淳嗣)がこのシリーズ開幕前に新日本を離脱。8月5日のジャパンプロレス、大阪城ホール大会に現れ、長州力に挑戦表明していた。これによりマシン軍団は雲散霧消。2号は素顔の力抜山に戻り、3号に声がかかることはなかった。

〝平田〟マシンはカナダ・カルガリーで同時期に活躍していたヒロ斎藤、高野俊二(後の拳磁)とともにカルガリー・ハリケーンズを結成。29日に港区白金台の「八芳園」で会見し、プロダクション設立を前提とした独立と語った。

アンドレにマシン軍団のマスクをかぶらせたのは、マシンのキャラクターは新日本が作ったものという事実を誇示することが狙いだったといわれる。

アンドレのマスク姿はこの1シリーズ限りだったが、マスク姿は画期的だった。誰が考えたのだろう…。

営業として長年、新日本を支えた上井文彦氏は「そのとき僕はユニバーサル(旧UWF)に行ってたから、想像するに、アイデアを出すとしたら猪木さん、(レフェリーのミスター)高橋さん、もう一人でいったら倍賞(鉄夫営業部長)ですよね。倍賞が率先して考えたとは思わないけど、猪木さんが高橋さんの言うことを聞くとは思わないし、フォローはしたんじゃないですか」と語る。

「当時のマッチメーカーって猪木さんと坂口(征二副社長)さんが2人でやってるはず。そして坂口さんはアイデアを出すような人ではないです」(上井氏)

ところで、アンドレのジャイアント・マシンは翌86年8月、WWFで復活する。ブラックジャック・マリガンが変身したビッグ・マシン、そしてスーパー・マシンと3人で登場。アンドレは体調がすぐれないのか、セコンド的な役割で相手選手にちょっかいを出す役回りだった。

そして、マシン軍団のハイライトは9月22日、米ニューヨークのMS・G大会。ビッグ・マシン&スーパー・マシンとタッグを結成したのはWWF世界ヘビー級王者のハルク・ホーガンだった。ハルク・マシンとして6人タッグに登場したホーガンはキングコング・バンディ&ビッグ・ジョン・スタッド&ボビー・ヒーナン組と対戦。

ホーガンはスタッドにボディースラムからギロチンドロップを見舞い、8分45秒でピンフォール。試合後、自らマスクを脱ぎ捨て素顔をさらしてフィナーレを迎えたのだった。

アンドレにマスクをかぶせるという新日本のアイデアが、WWFのリングで喝采を浴びた(敬称略)。

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