【赤ペン! 赤坂英一】巨人・オコエの母校、関東第一が甲子園の決勝で惜しくも涙をのんだ。オコエは当日23日、東京ドーム入りする前に自宅でテレビ観戦。「すごかったです。自分も(甲子園を)思い出してやっていければ」と語っている。
関東第一にはオコエが寄付した打撃ケージが2台ある。楽天にドラフト1位指名されて卒業した2016年春、感謝の印として贈ったものだ。
中学3年で進路志望届を提出した際、第3志望まで高校名を記入する欄にオコエが書いたのは関東第一1校だけ。地元の東村山リトルシニアで実力をつけ、東京屈指の強豪校で野球に打ち込もうと決意してのことである。
しかし、オコエはプロ2年目のころ、私の取材にこう明かしている。
「レギュラーを取る自信なんてなかったですよ。米澤(貴光)さんが(00年から)監督になられて以降、東村山リトルからは1人しか関一に入っていませんでしたしね」
米澤監督も、オコエが入部してきた時の印象は残っていない、という。
「最初は全然目立つような子じゃなかったです。学年ごとに部員を集める機会でも前に出てこず、他の選手の後ろに隠れるようにしていました」
そんなオコエが成長の兆しを見せた2年の春、米澤監督は背番号18を与えた。春季都大会3回戦で念願の初出場を果たしたオコエは、いきなり初安打、初打点、初盗塁をマークしてレギュラーの座をたぐり寄せる。
そして、3年夏の甲子園の3回戦。初回無死満塁の大ピンチで、センターの頭を越えそうな打球に飛びつくビッグプレーを見せ、一躍大ブレークを果たしたのだった。
ただし「打撃については卒業するまで欠点を直せなかった」と、米澤監督は振り返っている。
「一言で言えばオコエはスイングが汚いんです。手足が長くて、力任せに振り回してるだけ。もう少しきれいなフォームにしてプロに送り出したかった、と思いますよ」
今年のオープン戦中、オコエを二軍に落とした巨人・阿部監督は「右打ちができない」と指摘。高校時代からの欠点は、プロ9年目でもまだ改善されていないらしい。
夏の甲子園の期間中、オコエは恩師の米澤監督に何かメッセージを送ったのか、聞いてみた。
「いやいや、いろいろなOBから(連絡が来て)、すごく忙しいと思うんです。これからU―18もあるし、落ち着いてから連絡を取れればと思います」
その頃までに、オコエが巨人で再ブレークしていればいいのだが。