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【菊地敏幸連載#28】「もし和田がウチに来ていたら鳥谷は来てないですよ」

東スポWEB 2024年8月28日 11時9分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(28)】2002年ドラフトで自由獲得枠を利用しての早大・和田毅獲りは幻に終わりました。それなりの感触をこちらも得てはいましたが、ダイエーホークスは相当な条件を用意したのだろうと想像します。和田も条件だけではなく、総合的に鑑みて自分自身で決断した結果だと思っています。

何せ、あれだけ活躍して今でもなお現役選手なんですから。入団1年目の03年から12勝を挙げるなどリーグ優勝、日本一に貢献。日本シリーズの相手は阪神でした。そこから5年連続で2桁勝利を記録するなどダイエー、ソフトバンクのエースとして君臨しました。

故障で苦しんだ時期もありましたが11年にはチームの日本一を置き土産に、海外FA権を行使して、オリオールズのマイナーを経てカブスに移籍することになりました。プロ入り前からの学生時代の夢を、本人はしっかり実現させたわけです。

もちろん、獲得できていたことに越したことはない。われわれが春季キャンプを視察に行った際、和田本人に会うこともありましたが「こんにちは。頑張ってるね」くらいの会話を交わす程度で、君が阪神に来ていてくれたならなんて話もしません。

ただ、この後に03年ドラフト自由獲得枠で阪神を選ぶことになる鳥谷敬内野手の進路に関しては、和田の決断が大きな影響を及ぼすことになりました。鳥谷は「和田さんが阪神に行っていたら絶対に(阪神には)行かない」と明言していたからなんです。

鳥谷は1学年先輩で早稲田に黄金期をもたらした和田先輩を敬愛しています。和田と一緒のチームでプレーすることが嫌なわけではありませんでした。ただ、当時の自由獲得枠制度で2年連続で早稲田の主力が阪神を選んだとなると「出来レース」のような印象に見られるのが嫌だったようです。

和田を取り逃がし、鳥谷の自由枠を勝ち取った後、星野監督には私から言いました。「もし和田がウチに来ていたら、鳥谷は来てないですよ」と。星野さんは「そうか? 本当か?」とおっしゃってました。

まあ、日本一は逃したとしても、和田を逃しても03年は18年ぶりのリーグ優勝を実現できたわけですからよしとしましょう。

後日談ですが、和田はダイエーへの逆指名を決断するにあたって相当に迷ったそうです。私とタッグを組んで活動した池之上スカウトに対しても「あんなに熱心にやってくれたのに」という思いを持っていてくれたそうです。

和田のプライベートな人間関係までこちらとしては把握していて、そういった部分への配慮もしていました。星野監督も気合が入っていただけに、存分に協力してくれましたしね。

ウチもそれなりの工作を講じたことは事実です。品物をプレゼントしたこともありましたが、ダイエー側に気持ちが傾いていたんでしょうね。和田は手をつけずこちらに返してきました。律義な性格でしたね。和田には最後の「松坂世代」代表としてまだまだ頑張ってもらいたいですね。

02年ドラフトが終われば、もう次のドラフトです。いつまでも逃がした魚を悔やんではいられません。次は鳥谷の自由獲得枠での指名を目指すわけです。早大・野村監督に関して、鳥谷の進路選択に影響があるのかないのか…。などなど、いろんな角度から戦略を練るわけです。

もちろん選手の人生を第一に考え、チームの利益をとなるわけですが、鳥谷ほどの大物選手獲得に至ってはいろいろな人物の思惑が渦巻いていました。

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