〝東洋の巨人〟ジャイアント馬場さんを最も近くで見てきた夫人の馬場元子さんの言葉をまとめたインタビュー書籍「馬場さんの話、もっと聞かせてください」が先日、発売された。全日本プロレス全盛期の選手引き抜き騒動から、馬場さんの人気映画シリーズ「007」からの出演オファー裏話まで、元子さんの言葉で語られている。
「馬場さんが亡くなったのが1999年で、今年は没後25年。元子さんが亡くなったのが2018年4月で、今年は7回忌。節目に書籍化できたのは、何かの縁かな」と語るのは出版元ジョイフルタウンの担当編集者である笹川清彦氏だ。
本を執筆したのは2021年に亡くなったジョイフルタウン前社長の棚橋和博氏。2004年から2012年の8年間、元子さんを計6回、約10時間以上インタビューしたものを、全文活字化した。
馬場さんの13回忌のタイミングで書籍化する予定もあったが、ちょうどその時に元子さんが体調を崩し、出版に至らず。日の目を見ないまま元子さんが他界し、棚橋氏も亡くなった。
今年になって原稿が入ったUSBが見つかり、元子さんの姪で馬場さんの権利関係を管理する緒方理咲子氏の協力で出版することができた。
元子さんは本の中で、プロ野球選手だったころの馬場さんとの出会いから、全日本プロレスを立ち上げ経営していく馬場さんの姿、ジャンボ鶴田さんをはじめとするまな弟子たちのことなどを語っている。
馬場さんが亡くなった翌2000年、全日本プロレスのトップ選手だった三沢光晴さんらが中心となり、プロレスリング・ノアを立ち上げた。
「インタビュアーの棚橋さんは、全日本を『ノア』が引き継いだというような言い方をするのですが、そのことに対して元子さんは、ものすごく反発する。最初のころのインタビューと最後のころでは、その雰囲気も変わっているんです。インタビュー本ならでは臨場感がありました」(笹川氏)
1981年、全日本に参戦していたアブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本プロレスに〝移籍〟したことがキッカケとなり、両団体の間で仁義なき引き抜き合戦が勃発した。「馬場さんは当時、何も言わなかったけど、元子さんが、そのときの真意を語っていたりします。当時、新日本でアントニオ猪木さんの下で動いていた新間寿さんのことを元子さんが『馬場さんにもあんな人が欲しい』などと考えたりしていたことなどは、プロレスファンにとっては意外なことかもしれません」(笹川氏)
馬場さんはプロレスという枠を飛び越えて、テレビ番組でも活躍し、国民的人気を誇った。さらにはなんと、あの世界的人気映画シリーズ「007/私を愛したスパイ」(1977年公開)からも出演オファーがあったという。それを受ける前提で、元子さんは「ちゃんとギャラの提示はしたんですよ」と明かしているが、結果的に交渉は決裂した。元子さんによると、その理由は「だって主演のギャラよりも(提示額が)高かったんだから」。主演のロジャー・ムーアさんよりも高いギャラを提示したのだ。
決してふっかけたわけではない。撮影のために約6か月もプロレスを休まなくてはならなかった。その間も全日本のレスラーや社員を養うために、それぐらいの金額が必要と馬場さんは判断したからだ。
笹川氏は「この本は、広く多くの人に読んで共感してほしいとは言いません。本当にプロレスが好き、馬場さんが好きという人にとっては共感をしてもらえる一冊かなと思います。いま大谷翔平選手が世界で活躍して注目されていますが、いまから50年前に世界で活躍した日本人が馬場さん。そういう人がいたことを知ってもらえればいいですね」と語った。