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【ザ・グレート・カブキ連載#8】神様ゴッチは大したことなかった…目や穴に指を突っ込んでくるだけ

東スポWEB 2024年8月29日 16時5分

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(8)】私が高千穂明久のリングネームで活動していたころの1968年1月に、それまでも日本プロレスに参戦していたカール・ゴッチが日本に移住してくることになりました。ゴッチの印象? 大したことはなかったですね。世間では「プロレスの神様」とか呼ばれたこともあったようでしたけど、ゴッチのスタイルは日本のレスリングにはまったく合わなかったんですよ。やることは毎回、ほぼ一緒でしたからね。そんな感じはありませんでしたよ。

試合で対戦しても、かなり汚いんですよ。目とかケツの穴に指を突っ込んできて、相手が驚いたところを「グッ」とやるだけなんで。どう攻めてくるかが分かっていると対応もできるので、何も効かなかったし、難しいってことはなかったですね。ゴッチは日本への移住を機に、日本プロレスのコーチにも就任していてゴッチ教室を開き、日本人レスラーを指導していたんですけどね。

みんな参加してはいたんですけど、1週間もしたら、ほとんどの選手がゴッチのところには行かなくなりましたね。まあ、アントニオ猪木さんだけは、ちょこちょこやっていましたけど…。教える内容があまりにも、くだらなすぎちゃって、選手たちみんな“習ってもしょうがないな”と感じたんですよ。

例えば、四つん這いになって待っているとするじゃないですか。ゴッチは床についた手の甲にヒザを落としてくるんですよ。当然、痛いから手を上げるでしょ。するとそこに技を決める、みたいな。とにかく汚い手段が多かったんですよ。今の評価は、その後にゴッチの周りにいた人たちがうまく、つくりあげたんだと思いますね。

69年7月には初めて海外遠征にも行きました。タイ、シンガポール、香港に行ったけど、すごい盛り上がりでしたね。どこへ行っても観客が2万とか、3万人とかって入るんですよ。中でもタイはプロレスを見ること自体が初めてみたいなものだから、盛り上がりがすごくて。同じところで2~3日試合をやってまた巡業してというペースで10試合ほどしたんだけど、毎回、会場が暴動みたいになっていましたね。プロレスに興奮した観客が大暴れするんです。それに、なぜか「バンバン!」って銃声がして(苦笑い)。そうなると、もう危ないからリングサイドで見ていた子供をリングに上げて、守ってあげてました。

デビューしてから、いろいろな経験を積んで迎えた70年、ついに米国遠征に出ることになりました。多くのレスラーが“本場”で武者修行をしていたので、自分にとっても「大きな転機になるな」と思っていました。そこで初めて“ヒール”を任せられることになるんですけど…。

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