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小川良成が最も光り輝いた日 苦節16年「寡黙な職人」02年秋山準とのGHCヘビー級王座戦

東スポWEB 2024年9月1日 10時14分

【昭和~平成スター列伝】ノアのベテラン・小川良成の突然の引退が8月13日に発表され、マット界に大きな衝撃が走った。頸部の負傷で現役を続けることが難しいと判断されたため、本人の申し出により引退するという。しかも1985年9月に全日本プロレスでデビューした生え抜きの功労者にもかかわらず、本人の希望で引退会見やセレモニーなどは行わないという。いかにも「寡黙な職人」として活躍した小川らしい選択だった。

地味ながらその卓越した技術は誰もが認めるところだった。今夏の新日本プロレス・G1クライマックスを制したザック・セイバーJr.とはノアで2013年からコンビを組んでおり、日本流のプロレスの基礎を学んだことは間違いない。

ザックも「私の人生の中で最も大切な人の一人。タッグパートナーとして過ごした時間は、これまでで最も幸せな瞬間の一つだ。彼に敬意を表する最善の方法は、G1で優勝することだと思っていた。小川先輩、プロレス人生お疲れさまでした」と最大級の感謝の意を表した。

また三沢光晴も全日本時代の1998年にヘビーとジュニアの壁を越えてパートナーに抜てき。当時では異例中の異例で、三沢は「体の大きさじゃない。とにかくうまいから安心感が違う。組むなら小川しかいない」と語っていた。

そんな小川は02年4月7日有明でジュニアでは初めて秋山準からGHCヘビー級王座を獲得している。

『今年に入って秋山を2度、フォールしている小川に対し、王者は「5分決着」を予告。ゴングと同時に目が離せない一戦となった。小川はバックドロップ5連発。秋山はDDTから滞空時間の長い空爆エルボーからエクスプロイダーで巻き返した。4分過ぎ、秋山は必殺のリストクラッチ式エクスプロイダーの体勢へ。万事休すと誰もが思った瞬間、小川は絶妙のタイミングで体を入れ替え、そのまま4分20秒、首固めで秋山をフォール。ジュニアでスタートした男が苦節16年で悲願のヘビー級王者となった。小川は「夢(のベルト)を取ったんで、今度は守っていく。オレが勝ったらみんなびっくりすると思ったけど、これからはもっとびっくりさせようと思う」とニクい表情で言い切った』(抜粋)

寡黙な男が初めて団体のトップに立った瞬間だった。余談になるが全日本時代、まだ駆け出しの記者に和田京平レフェリーはこうアドバイスしてくれた。「小川の試合は毎日見といたほうがいいよ。プロレスが何か分かるから」。なぜですかという質問に和田氏は「毎日見てりゃ分かるさ」と答えただけだった。それから約30年、小川の試合を見続けたが、答えが少しだけ分かったような気がする。

誰もがその技術と力量を認めた寡黙なベテランは、最後まで「らしさ」を貫いてリングを去る。心から深い感謝と敬意を表したい。 (敬称略)

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