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【ザ・グレート・カブキ連載#14】馬場さんからの〝帰国指令〟なく…米ダラスでついに変身!

東スポWEB 2024年9月11日 10時58分

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(14)】1979年8月の「プロレス夢のオールスター戦」に出場するために活動していた米国から帰国しましたけど、ジャイアント馬場さんからは「全日本に戻ってこい」とも言われませんでした。もともと帰国する気もなかったので、いよいよ本格的に拠点を米国に移すべく行動します。

80年にミズーリ州カンザスシティーに入りました。ここで、グリーンカード(米国の永住権)を申請することになります。もともとずっと取得したかったんです。定期的に日本に帰らなくてよくなるし、どこでも働けるようになるので楽ですからね。でも、そうそう簡単には取れるものではありませんでした。

そんな中、カンザスシティーでミゼットレスラーのリトル・トーキョーという日本人と知り合いになり、そのボスが弁護士を紹介してくれたんです。ちょうど現地で子供が生まれて、永住権を取得しやすい状況にもなっていました。それで紹介してもらった弁護士を雇って、グリーンカード取得の交渉を任せていたんです。それでしばらくカンザスシティーに滞在していました。

そこで出会ったのが、ブルーザー・ブロディでした。初めて会ったのはこの年の5月。当時はまだ若くて、試合順も真ん中くらいでやっていましたね。プライベートでも仲良くなって、その後に日本行きを世話したりもしたんですよ。この時に、ブロディから「テキサス州ダラスで『WCCW』をやっているフリッツ・フォン・エリックがお前を探していた」と聞いたんです。それでグリーンカードを取得してすぐエリックに連絡を取って、その年の暮れにダラスに入りました。

そこで出迎えてくれたのが、ゲーリー・ハートという男でした。ゲーリーはもともとレスラーをやっていたんだけど、あまりにもしょっぱくて使い道がなくてね(苦笑い)。それでマネジャーをするようになっていたんです。受け身は取れないけど、しゃべるのがうまかったから…。ここで自分は「ザ・グレート・カブキ」へと“変身”を遂げることになります。

最初はゲーリーの思いつきだったんですよ。日本文化を紹介する雑誌に掲載されていた歌舞伎役者の写真を見せられて「お前、こういう格好はできるか?」って言われたんです。それで「できなくはねえよ」って、やってみたんですよ。着物とか、はかまとかはもともと持っていたから、そこにメークをプラスしてみました。

名前は自分が「これなら『カブキ』でいいんじゃない? 米国人も覚えやすいじゃん」って。そこに「ザ・グレート」をゲーリーがつけたんです。さらに「ザ・グレート・カブキ」に欠かせないヌンチャクや毒霧が生まれたのは…。

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