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【レッドソックス】上沢直之 米1年目で不本意な帰国「久しぶりにこんなにもがいた」「実力不足だった」

東スポWEB 2024年9月17日 17時32分

【米国マサチューセッツ州ボストン16日(日本時間17日)発】レッドソックス傘下マイナー3Aウスターの上沢直之投手(30)が渡米1年目のシーズンを終え、ボストンのローガン国際空港から帰国の途についた。7日(同8日)付で右ヒジ痛(診断結果は疲労骨折)のため7日間の負傷者リストに入ったが、首脳陣とも話し合った結果、残り試合には登板せず今季を終えることに。

メジャーでは救援で2試合に登板して勝敗は付かず、4回で2安打1失点、3三振2死球で防御率2・25。3Aでは20試合に登板(先発6試合)し、5勝4敗、防御率7・63、59回を投げ被安打69、47三振、36四球と不本意な結果に終わった。その上沢にこの1年を振り返ってもらった。以下一問一答。

――右ヒジを痛めた要因、心当たりは

上沢 ボールが滑りやすいのもあると思うし、あとは投げる球種の割合も違った。変化球が多く、少しずつ自分のフォームが崩れていったと思うが、思ったようにボールを投げることができず、体に負担がかかったのかもしれない。僕が対応しきれなかった。それも含めて、自分に足りなかったことが多かったと思う。

――前腕に負荷がかかっていたということか

上沢 こっちに来てから前腕はしんどかった。今まで前腕に張りを覚えたことはなかったが、張りやすいなあと感じていた。

――米国では日本では経験していない中継ぎ投手という役割を担った

上沢 一番の失敗だったかなと思うのは、急いでつくれって言われた時に、1球目からバンって力を入れ過ぎて投げてしまったこと。先発をやっている時も、力みにつながってくるので、なるべく最初の方はあまり力を入れずに投げていたが、早くつくれって言われた時に、やっぱり焦ってしまった。力を入れるんじゃなくて、投球間の時間を短くして投げておけば、ここまで大きく崩れることは無かったかなと思う。

――ブルペン投手の大変さを痛感したか

上沢 それはすごく分かった。(先発もブルペンも)同じ投手ではあるが、ポジションごとのプロフェッショナルというか、適性とかあるなと。両方できる人はホントにすごいと思うが、投手だから両方できるというのは違うなと思った。こっちに来て、すごく考えさせられたというか、中継ぎが大変なのは知っていたが、こういう苦労があるなとか、長年ここでやっている人はホントにすごいなと思った。なんか、自分の足りないところを知ることができた1年だったかな。この大きな挫折がなかったら、日本でずっとやっていたら気づかなかったことだと思う。このオフ、ここからしっかりやれよと、野球の神様から言われているような気がするので、ここからの取り組みがすごく大事になってくる。

――メジャー挑戦の1年を振り返って

上沢 野球人生の中でかなり苦い1年というか、かなり精神的にきた1年だった。でも、来なきゃ分からないこともあると思うし、こんな思いをせずにずっと日本でプレーしていたら終わっていたかもしれない。失敗することは悪いことじゃないと思うので、この失敗をこれから先の人生でどう生かしていくかだと思う。今年学んだことをずっと忘れずにこれから生きていけるかがすごく大事だと思う。

――レイズとのマイナー契約から始まったシーズン。長く感じたか

上沢 パフォーマンスが上がらず、キツイことの方が多かった。いつもはシーズンが短く感じていたが、今年は長く感じた。私生活でも英語がしゃべれないし、家族と離れるのがこんなにつらいものだと思っていなかったので、すごく孤独は感じた。家族にわがまま言って、1人でこっちに来た。自分のやりたいことを優先して、奥さんには大変な思いをさせてしまって、いろいろと考えることがあった。やれることはやったが。

――シーズン中はどう過ごしてきたのか

上沢 僕なりに、一日一日、後悔のないように過ごしてきた。どこかで手を抜いたらその先の成功はないと思って、なるべく吸収できるものは吸収しようと毎日やってきたが、それでもその気持ちと結果、成績が反比例してくのはすごくつらかった。毎日毎日、今日は良くなるかなとか思いながらやってきた。

――対右打者の空振り、奪三振が少ないことから、スイーパーの習得も命じられた

上沢 この球種はこれぐらい使ってくれというのがあったので、それになかなか対応できなかったというのもある。スイーパーとか投げられたら強力な武器になるが、なかなかうまく投げられなかった。(対右打者は)今後も僕の課題になってくると思う。

――来年も米国でプレーしたいか

上沢 うーん、それは難しいところ。行っていない球場もたくさんあるし、この球場でも投げたかったなとか、(クラブハウスのテレビで中継していたヤンキース戦に視線を移し)ニューヨークにも行ってみたかったな。メジャーの舞台でもう少し投げたいなというのはあるが、結局は契約の問題というか、僕が行きたいと言って契約してもらえる問題ではないし、あとは家族も日本に残していますので。(単身渡米した)今年はアメリカで成功して、来年家族を連れて来られるようにという目標だったが、なかなか自分が思った方向には進まなかったので家族と話す必要があるし、今の段階では(進路について語るのは)難しいが、慣れている環境で自分を取り戻したいというのもある。練習に関しては、日本の方が(時間をかけて)長くできるし、ファームでも練習に付き合ってくれるスタッフもたくさんいるので、うーん、そういう時間を取った方がいいかなと。精神的に疲れた感じがあるので、今年は。肉体的にはどっちにいてもやることは変わらないが、家族と代理人と話しながら決めたい。

――今後の課題として考えていることは

上沢 自分の本来のボールを取り戻したい。途中から全く投げられなくなったので。まずはヒジを治すことに集中して、その間に体を変えたい、強くしたい。やっぱり彼らとのパワーの違いを感じた。ある程度のパワーは必要だなと。一瞬の出力。

――最後、投手コーチからどんな言葉をかけられたのか

上沢 うまく切り替えられるようなアドバイスができたら良かったんだけどって。平行線の野球人生なんてないから、浮き沈みは絶対にあるからって、とにかくヒジを治してって言われた。

――メジャー挑戦が決まった時、あるいはメジャー昇格を果たした時、日本ハムでチームメートだった大谷翔平投手(ドジャース)との対戦や再会を思い描いていたのでは

上沢 世界のトップレベルの舞台で野球をしたかったし、どこかで日本人選手とも対戦できたらと思っていた。結果的に、フェンウェイ(・パーク)で今永としか会えなかったが、それは僕の足りないところ。改めてトップレベルではこういう選手がいるんだとか、近い距離でなんとなく見られた気がするので、それは僕にとって良かったなと思うし、力のなさを感じることができたし、ここから先がすごく大事かなと思う。

――大谷をはじめトップレベルの選手を見て感じたことは

上沢 今年やって思ったのは、人と比べると自分を苦しめるだけってこと。割となんとか追いつこうとか、比べがちなところがあったが、人と比べるのは良くないと、途中から思った。多分、彼らは人と比べてどうとかあまり気にしないというか、自分がどうあるべきか(しか興味がなく)、自分が好きな選手が多いかなって、そんな感じはする。(トップレベルの選手は)いかに楽しむために野球をしているって感じがした。

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