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【ザ・グレート・カブキ連載#21】顔面ペイントやめていた裏にグレート小鹿のひと言

東スポWEB 2024年9月26日 11時48分

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(21)】1978年から米国を拠点にして活動していましたが、87年から日本に腰を据えることにしました。40歳も目前になってきて、体力的にも日米を行き来することがきつくなったからです。

ただ、理由はもう一つありました。それは米国プロレスのスタイル自体が大きく変わってきていたことです。ビンス・マクマホン率いるニューヨークの「WWF」がケーブルテレビを使って全米放送を始めたんですよ。これで時代は変わりました。小さな町で興行をやっても、お客さんが入らなくなっていて、どんどん小さな団体が倒れていきました。プロレス自体もスタジアム向きの大きなファイトスタイルより、テレビ向けの戦い方が重宝されるように変化していきました。

自分はこの流れに「厳しくなったな。もうこっちでは、そんなに長く、この商売でメシを食っていけない」と思いましたね。そもそも自分は当時のニューヨークスタイルが苦手だったんです。体の大きいヤツばっかりで動きもないし、殴り合い、蹴り合いばっかりでレスリングもなかったから性に合わなかった。それで日本に戻って、全日本プロレスのリングに集中することにしました。

全日本ではヒールから正規軍に回りました。顔面ペイントをやめていたのも、このころです。理由は…もういいかなと思って。ちょっと長すぎたなってことに今まではしていたんですが、もう時効だからいいか。2年先輩のグレート小鹿に言われたからなんですよ。試合前に自分がメークしてたら「バカヤロー、お前、そんなメークばっかりしやがって。●●●じゃあるまいし」って。

それで「そんなのアンタに言われる筋合いはねえよ」って腹が立ってね。それで一時はメークをやめたんだけど、ジャイアント馬場さんから「頼むよ、またペイントしてくれよ」って言われて戻しました(笑い)。

小鹿といえば、巡業先で三沢光晴に鍋のふたを“食らわせた”ことがありました。ちゃんこを作っているとき、小鹿が三沢に「鍋の中を確認しろ」って言ったんです。それで三沢がふたを開けて見たんだけど、小鹿が「(閉めるのが)早いんだよ」って怒ってそのふたでぶっ叩いた。それを見た自分が「小鹿さん、何やってんの!?」って止めに入ったら「いいんだよ、こいつらは」って言うんですよ。

自分は「コノヤロー。俺たちみんな、そのうちコイツにメシ食わせてもらうんだぞ」って思って…。あんまりにも腹が立ったから、後日のバトルロイヤルで、そのときの鍋のふたをリングに持ち込み、小鹿の頭を思いっきりぶん殴ってやったんですよ。「お返しだ!」ってね。それから小鹿とは今になるまで、ほとんど話もしてないですね。

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