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猪木が狙ったヘビー級王者ジョージ・フォアマンの一本釣り 1995年 北朝鮮・平壌イベントの舞台裏

東スポWEB 2024年9月29日 11時3分

【プロレス蔵出し写真館】2022年10月1日に79歳で亡くなったプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木の三回忌法要が9月8日、神奈川・横浜市鶴見区の総持寺で営まれた。

夫の佐々木健介と参列した北斗晶は「アッという間に三回忌なんだなって。去年も暑かったですけど今日もね〝燃える闘魂〟でしたね。すごい暑くて」。ウイットに富んだ発言に思わず笑ってしまった。

前田日明は「お墓お参りして『(猪木から)お前ら小っちゃいんだよ。すぐ生まれ変わったらお前ら追い抜かしてやるから見てろ。言うことやることなすこと、全部小っちゃいじゃないか、なんだそれ?』って怒られてましたね」と、活を入れられたように感じたという。

さて、猪木の晩年の〝デカい〟ことのひとつに北朝鮮・平壌での「平和のための平壌国際体育・文化祝典」イベントがある。

今から29年前の1995年(平成7年)4月28と29日、平壌メーデースタジアムで北朝鮮で初のプロレスを披露した。両日とも19万人の大観衆で埋まり、猪木は2日目にリック・フレアーを延髄斬りで下し、トリを飾った。

ところで、猪木が〝当初〟対戦相手にリストアップしていたのはプロボクシングのジョージ・フォアマンだった。

フォアマンといえば、モハメド・アリのエピソードとして有名な〝キンシャサの奇跡〟の相手として知られる。74年(昭和49年)10月30日、ザイール共和国(現・コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われたWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ。フォアマンは逆転KO負けを喫し、王座を失った。

また、日本で初めてのプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチはフォアマンの防衛戦だった。前年の73年9月1日、日本武道館で同級9位のホセ・キング・ローマンと対戦し、一方的ペースのまま1R2分、右アッパーでKO勝利した。

猪木は坂口征二とともに、この試合をリングサイドで観戦していた。「イヤー凄いね。あの右にはおそれいったよ」と感想を語っている。

このときの印象があったのか、20年以上経過して北朝鮮のイベントに引っ張り出そうとしたのがフォアマンだった。

猪木がフォアマンと接触したのは94年(平成6年)8月21日、米ロサンゼルス郊外マリブビーチにあるフォアマンの顧問弁護士ヘンリー・ホームズ氏宅だった。

フォアマンは11月5日にラスベガスで行われるWBA、IBF世界王者マイケル・モーラー戦に向けて、10日からこの地でキャンプを張っていた。ホームズから連絡を受けたフォアマンは、20分ほどして自転車でやってきて猪木と初対面した(写真)。

「対戦に関しては前向きの姿勢で対応すると合意した」と新日本プロレスの〝ゴマシオ〟永島勝司取締役が語り、期待を抱かせた。

注目のモーラー戦は10R2分3秒でフォアマンがKO勝ち。20年ぶりの王座奪回を果たすとともに、45歳9か月の史上最年長記録を樹立した。

王者となり、猪木との対戦は微妙になったと思えたが、11月21日の北朝鮮国営ラジオ(平壌放送)の話として「シカゴ・トリビューン紙」が〝45歳のフォアマンと元レスラーで現在は日本の参議院議員である51歳の政治家、猪木寛至が4月に対戦〟と報じた。

しかし翌日、「ワシントン・ポスト」が「フォアマンはボクサー対レスラーの試合には一切参加しないと明言した」と、これを否定。24日にはUPI=共同電がフォアマンの「私は第一に愛国者であり、その次にボクサーだ。米国が北朝鮮と外交関係を結ばない限り北朝鮮には行かない」との談話を流し、猪木との異種格闘技戦の消滅が決定した。

猪木とプロボクサーの異種格闘技戦といえば、86年(昭和61年)10月9日、両国国技館で行われた元世界ヘビー級王者のレオン・スピンクス戦が大凡戦に終わった。それでも、特別番組として放送されたテレビの平均視聴率は18・9%(ビデオリサーチ)。同日セミで行われた前田の初異種格闘技戦で20%を突破し、その流れで猪木の試合は瞬間視聴率29・7%を記録していた。

北朝鮮で異種格闘技戦が企画されてもおかしくはなかった。

猪木はフレアー戦後、「今日はフレアーが相手でよかった。最初はジョージ・フォアマンという話があって。この国ではフォアマンを誰も知らないし、異種格闘技となるともっとルールがややこしくなってくるという問題があった。ハルク・ホーガンという話もあって、大変素晴らしい選手ではあるんですが、その人が持ってる魂みたいなもの、これがちょっと違うかな。フレアーは長い間トップをとってきた。プロレス界を引っ張ってきたプライド。そういう意味では最高の相手だったと思います」と賛辞を贈った。

猪木VSフレアー戦は19万人の観衆を熱狂させ、間近で見た猪木の千両役者ぶりに感嘆したのを記憶している。北朝鮮から約束を反故にされ、莫大な借金をつくったとはいえ、強烈なインパクトを残した大会となったのだ(敬称略)。

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