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「いつか、つかむ時が必ずくる」桑田真澄氏が〝PLの後輩〟朝井秀樹に送った金言【平成球界裏面史】

東スポWEB 2024年9月29日 11時13分

【平成球界裏面史 近鉄編72】近鉄が消滅した平成16年(2004年)から3年後、平成19年(07年)は朝井秀樹にとって楽天への移籍3年目となっていた。このシーズンで規定投球回をクリアして8勝。チームにとって欠かせない存在に成長していた。

平成20年(08年)は開幕からローテ投手として活躍。規定投球回にも到達した。2桁勝利目前の9勝を挙げ、順調な成長曲線を描いていた。こうして試合出場を続けていると、試合に訪れる大物OBたちとの交流にも恵まれる。

同年5月14日のオリックス戦(クリネックススタジアム宮城)に先発予定だった朝井はグラウンドで調整を行っていた。試合自体は雨天のため流れてしまったのだが、試合前のベンチでPL学園の大先輩である桑田真澄氏(元巨人、パイレーツ)から金言を授かった。

当時の野村克也監督と野球評論家だった桑田氏がベンチで談笑していると、朝井はあいさつのため現場へ駆けつけた。するとノムさんが現役通算173勝のレジェンドに後輩・朝井へのアドバイスを要求。桑田氏は独特の優しい口調でゆっくりと口を開いた。

「いつか、つかむ時が必ずくる。今日がダメでも明日がある。明日がダメでも明後日がある。諦めたら終わり」

当時まだ24歳と若かった朝井にとって、ありがたい言葉だったに違いない。このシーズンは9勝を挙げたが、11敗を喫した。それでも、投手陣では近鉄の先輩・岩隈久志が21勝を挙げ、桁違いの結果を残していた。まだまだ上を目指して自分を磨いていた右腕にとって、桑田氏の言葉は響いた。

このシーズンのチームスローガンは「Smart & Spirit 2008 考えて野球せぃ!」だった。いかにも野村監督らしいテーマだ。もちろん朝井もPL学園時代から考える野球を実践してきたに違いない。それでも、野村監督からすれば物足りなさがあったことも事実だろう。老将から朝井には桑田氏への質問も促された。ただ、当時は緊張のあまりうまく質問することもままならなかった。

試行錯誤を続けながら若手投手として自身を磨いていた日々。この光景を朝井は今でも忘れないはずだ。それと同時にプロ野球とは入れ替わりが激しい厳しい世界であることも記憶に残っているだろう。このオフには近鉄時代からの先輩である吉岡雄二や森谷昭仁、鷹野史寿らがチームを去り、現実を目の当たりにしていた。

そして平成21年(09年)には朝井自身にとっても試練が待っていた。投球時に制球を乱す場面が目立ち、一軍での先発機会は3試合に終わり、ローテ失格と判断された。中継ぎでの登板機会でも修正できないまま、楽天移籍後初めて未勝利のシーズンを経験した。

イースタン・リーグでは好投を続けていたものの一軍では0勝3敗、防御率6・59。それでも、ファームでの登板でも決して手を抜かず、桑田氏の言葉通りに、諦めずに投げ続けた。その姿をひそかに見続けていた人物が朝井の野球人生に再び彩りを与えることになる。

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