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朝井秀樹「本当に夢のようで…」2010年、巨人にトレード移籍で初登板初勝利【平成球界裏面史】

東スポWEB 2024年10月6日 9時1分

【平成球界裏面史 近鉄編73】平成21年(2009年)、朝井秀樹は試練のシーズンを迎えていた。平成19年に8勝、20年に9勝と2年連続でローテを担い、楽天イーグルスの戦力としてチームに貢献した。

だが、平成21年は制球を乱す試合が目立ちローテ剥奪。中継ぎでも結果を残せず、13試合に登板するも楽天移籍後では初めて未勝利のシーズンを過ごした。ただ、イースタン・リーグでは14試合に登板して6勝3敗、防御率2・26と実力の違いを見せていた。ファームでも全力で力を抜かない姿勢。これは球場を訪れた他球団の編成担当の目にしっかり映っていた。

平成22年(10年)の朝井は前年に引き続き苦戦を強いられていた。一軍での登板機会が巡ってきたのは7月8日。戦線離脱することになった田中将大に代わり、出場選手登録されて即先発となったが、結果を残すことができずに登録抹消となった。

この突然の登録、登板、抹消はある出来事の前触れだった。7月26日、朝井は巨人・栂野雅史投手との交換トレードでジャイアンツの一員になることとなった。平成21年、22年を不調のまま過ごしていた朝井の可能性を当時の巨人・香坂英典編成担当は見抜いていた。

7月26日といえばトレード期限の31日まで1週間を切ったギリギリのタイミング。このシーズン、巨人は先発陣が本調子とはいえずローテでは内海哲也、東野峻の2人だけがが正常に稼働している状況だった。

セス・グライシンガー、ディッキー・ゴンザレスら、かつて大活躍した外国人投手は不調で先発要員が補強ポイントとなっていた。そんな折、朝井に熱視線を向けていたのが香坂氏だった。客観的に見て投手陣が潤沢とはいえなかった楽天にあって、朝井が一軍の戦力として扱われていないことに違和感を覚えていたという。

フォームはダイナミックで直球に力もある。何よりも投げっぷりがいいということが香坂氏の評価だった。巨人サイドから楽天にトレードの打診がされ、楽天からは同じ右腕の栂野を要求された。常にテレビで試合が中継される巨人にあって、朝井の闘志を前面に出すスタイルがG党の心をつかむという算段もあったはずだ。

朝井の巨人移籍後初登板は8月8日の広島戦(東京ドーム)だった。先発して7回を2安打無失点に抑え、見事に移籍後初勝利を決めた。お立ち台では「本当に夢のようで…。家族にすごいつらい思いをさせた。何とか白星をプレゼントできて良かった」と目に涙を浮かべた。

先発での白星は平成20年(08年)9月17日の日本ハム戦(Kスタ宮城)以来、690日ぶり。トレードから2週間ほどで環境も変わりバタバタの中だった。単身赴任を選び、川崎市内の選手寮で再起を誓った新天地でのマウンド。「前夜から寝つけないほど緊張しっぱなし」だったが、試合が始まると落ち着いたプレートさばきを披露した。

PL学園時代から大先輩の桑田真澄氏をイメージした縦の大きなカーブが武器だったが、全投球の1割程度にとどめた。普段よりフォークボールの割合を増やし、巨人で新たな投球スタイルを確立した。

その後も朝井は好調を維持し、先発投手陣が不調のチームにあってローテを死守。10試合に登板(8先発)して4勝1敗、防御率2・01の成績を残した。巨人のCSファイナル出場に貢献すると「救世主」と称された。

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