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第3の男・天龍源一郎「ミスター」に昇格!87年ジャンボ鶴田に初勝利

東スポWEB 2024年10月6日 10時19分

【昭和~平成スター列伝】2015年11月15日に引退したミスタープロレスこと天龍源一郎が、9月22日の大日本プロレスの福井・勝山大会に登場。1992年5月18日以来、約32年ぶりに故郷のリングに上がり、ファンから大歓声と「天龍コール」を浴びた。

32年前はSWSの北陸ツアーだったが、翌19日には反天龍派の谷津嘉章らがクーデターを起こして、団体は6月19日長崎を最後に解散する。残念な結果だったが、今思えば天龍にとってSWSは、最大のライバルだった怪物・ジャンボ鶴田のようにガーッと燃え上がる大物日本人が少なかったのかもしれない。

その5年前、全日本プロレス時代の87年は、天龍が最も燃え上がっていた時期だ。盟友の阿修羅原と天龍革命をスタートさせ、鶴田や輪島大士を相手に、格闘王・前田日明氏が危機感を覚えるほど、従来の常識を覆す激しいプロレスを展開。鶴田とのシングルが「鶴龍対決」と呼ばれたのも、この時期だ。革命を起こした天龍は「第3の男」から一気にトップを目指す存在へと転じていた。

87年8月31日、日本武道館では約4年4か月ぶりのシングル戦で天龍が激闘の末、リングアウト勝ちを収めている。

「鶴龍の実力は互角だった。一歩も引かず、倒すためなら何でもやる。2人の決意が伝わる。125キロの全体重を乗せた鶴田のコブラツイスト。延髄斬り、張り手で攻め立てる。天龍も黙ってはいない。ジャーマンで叩き付け、パワーボムでニアフォールを奪う。ジャンピングニーの自爆を誘うと鶴田の右ヒザを痛めつけて逆片エビ固め。限界まで反り上げて絞り上げ、バックドロップも耐え抜く。そして場外戦へ。天龍は本部席にニークラッシャー、エプロンに上がってきた鶴田に延髄斬りからラリアートだ。相打ちとなったが、天龍はリング内に吹っ飛び、鶴田の右足はロープにからまった。リングに戻ろうともがいたがどうにもならない。非情にもレフェリーのカウントが数えられた。天龍は『勝ったぞ! 鶴田はやっぱり本物だよ。この野郎って感じだった。今度は3カウントで決着つけてやるよ』と胸を張った」(抜粋)

ノンタイトル戦のリングアウト勝ちながら、これが鶴田戦シングル初勝利で、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」ベストバウトを獲得。後日、天龍は「腕の1本や2本折れてもいいと思った。あのジャンボの余裕をなくさせてやったのは痛快だったね。まだ物足りなかったけどな」と述懐している。その後、2人の戦いは3冠戦へと舞台を移し、90年の退団まで激しい戦いを展開。天龍は92年にWARを旗揚げするとマット界を縦横無尽に疾走し、ミスタープロレスとして不動の地位を築く。 (敬称略)

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