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【新日本】百戦錬磨の“エース”棚橋弘至が苦戦した3人 師匠に平成のテロリスト、そして…

東スポWEB 2024年10月8日 12時5分

【The Ranking~気になるモノを徹底調査(6)】 百戦錬磨の“エース”がてこずった相手とは――。新日本プロレスの棚橋弘至社長(47)がこれまでの戦いで苦戦した3人を明かした。

棚橋は3度目の入門テストで合格。立命館大学卒業を経て1999年に新日本に入団。中邑真輔(現WWE)、柴田勝頼(現AEW)と「新・闘魂三銃士」と呼ばれて活躍した。2006年にIWGPヘビー級王座を初戴冠。昨年12月に団体史上4人目の選手兼社長に就任した。

そんな“エース”が苦戦した1人目は92年レスリング全日本選手権を制した永田裕志だ。中でも05年の第1回「NEW JAPAN CUP(NJC)」1回戦(4月19日、広島)の激突を挙げた。試合は永田のレフェリー暴行による反則勝ちとなったが「永田さんはレスリング出身なので、上からの圧が強い。グラウンドでなかなかコントロールができなかったから」と、当時の試合を振り返りつつ“ミスター”の技術力の高さを明かした。

永田といえば白目をむきながらの関節技「白目式腕固め」が代名詞の一つ。棚橋も「白目が出た瞬間は会場が盛り上がるので、やられている冥利はあります(笑い)」と思わず本音を漏らしていた。ちなみに棚橋は苦戦しながらも永田を撃破した勢いのまま第1回のNJCを制覇。歴史にその名を刻んだ。

2人目は“平成のテロリスト”村上和成だ。04年3月28日に都内スタジオで棚橋が保持していたU―30無差別級王座をかけて無観客金網デスマッチで対戦。当日は両国国技館で新日本の興行が開催される中で、2人の試合が中継された。棚橋は「金網デスマッチ、無歓声で完全に自信喪失しました…」と苦笑いを浮かべた。最終的には棚橋がKO勝利を収めている。

3人目は、若手時代に付け人を務めていた“師匠”の武藤敬司だ。マット界のスーパースターについてはリスペクトを込めて「存在が反則」という。武藤は新日本から02年に全日本プロレスに移籍。09年1月4日に東京ドームで行われたIWGPヘビー級選手権では外敵王者として君臨していたが、棚橋はかつての師匠を破り、見事に団体の至宝を奪回した。

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