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【菊地敏幸連載#51】98年なぜ阪神は上原も松坂も取りにいかなかったのか

東スポWEB 2024年10月10日 11時5分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(51)】前回まではネット放送局の「AbemaTV」に出演させていただいたお話をさせていただきました。今回は有名なプラットホームであります「ユーチューブ」出演に関してお話しさせてもらいます。

昨年の夏ごろでしたかね。いろんな人とのつながりもあり、巨人OBの上原浩治くんのチャンネルに出演させていただきました。チャンネル登録者数が100万人に届くかという有名チャンネルです。「上原浩治の雑談魂」。数度にわたって上手に編集していただき、いい経験をさせてもらいました。さすがにこれは…という裏話はカットというのもありましたが、東スポさんでお話しさせていただいているようなトークを展開させてもらいました。

上原くんと直接、お話しさせてもらうのはほぼ初めてでした。彼とはメジャー時代ですかね。自主トレで東京ガスのグラウンドで練習をしていた時に「頑張ってね」と声を掛けたくらいで、会話をしたことはありません。上原くんからすれば、ただの野球ファンのおじさんとしか思っていなかったんじゃないかな。番組内でもそう言うと、本人も笑っておりました。

私が現役のスカウト時代は東日本統括をしていた関係もあって、関西の学生時代の上原くんとは絡みがなかったんですね。それでも長年、野球界で仕事を続けてきた仲間ですから。話はどんどん弾みましたね。

今回は番組上で話題になり、このコーナーではお話ししていないことを書きたいと思います。まずは上原くんが巨人に逆指名1位となった1998年ドラフトの話題です。なぜ阪神は上原くんも松坂大輔も取りにいかなかったのかという話です。

実は阪神は98年夏の時点ぐらいまでドラフト1位は春夏甲子園連覇の横浜高・松坂でいくという方針で固まっていたんです。あとは松坂を外した後のシミュレーションをどうしようかという段階でした。ただ、阪神は吉田義男監督が退任したことにより、野村克也監督を招へいするということになりました。実はこの時点で松坂は消えてしまいました。

さあ、野村さんが監督。これで「ハイ、ダメ」と。野村さんが監督になった時点で他球団は阪神がいかないというのは当然分かっただろうと思います。すなわち、野村さんと横浜高の関係性が良くなかったんです。

私個人としては横浜高とはいい関係を築いていましたから。誰が見てもナンバーワンだと分かっていたわけですから指名したかった。結果的に日本ハム、横浜、西武の3球団が競合し西武に決まりました。当初は横浜以外なら社会人の日本石油という話でしたが、その後のことは野球ファンの皆さんならお分かりだと思います。

阪神はこの年に高知商の藤川球児投手を1位指名。2位にNTT関東の金沢健人投手、3位で東洋大・福原忍投手を指名しました。これはこれでドラフト上位の3投手が一軍で活躍してくれたので成功ドラフトだと思っています。

現在を生きる皆さんはその後の球児の大活躍を知っていますから納得でしょう。阪神の次期監督候補に名前が挙がるほどですからね。ただ、高校からドラフトされた時点での球児はまだまだ細身で、野村監督の評価も芳しくなくひと悶着あったんです。

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