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ピーコさん死去 弟・おすぎとケンカ別れしても切れなかった〝双子の絆〟

東スポWEB 2024年10月21日 5時5分

双子タレント「おすぎとピーコ」の兄で、ファッション評論家として活躍したピーコ(本名・杉浦克昭)さんが9月3日に敗血症による多臓器不全のため、神奈川県内の病院で亡くなっていたことが20日、分かった。79歳だった。小気味よい辛口トークと情に厚い人柄で知られた。そんなピーコさんは一卵性双生児の弟・おすぎを最後まで気にかけていたという。

ピーコさんは高校を卒業後、アパレルメーカー勤務を経て専門学校に進み、服飾デザイナーになった。1975年に映画評論家のおすぎと共に「おすぎとピーコ」としてタレント活動を開始したが、先に〝芸能界入り〟していたのはおすぎだったという。

テレビ関係者の話。

「おすぎさんは映画評論家になる前に、番組制作の会社で働いていました。あるドラマの衣装が出演者のイメージに合わず、急きょ別のものを作る必要が出てきて、おすぎさんが慌ててピーコさんにお願いしたのがきっかけ。それで芸能人の衣装を作るようになって、ピーコさんの面白いキャラクターが業界で広まったそうです」

おすぎは名字の「杉浦」が由来で、「ピーコ」は昔からピーピーしゃべることからアパレル時代に名付けられたあだ名をそのまま使ったという。

やがてその人気に火がつき、ワイドショー番組の辛口ファッションチェックや「笑っていいとも!」(フジテレビ系)など数多くの番組に出演することになった。そのトーク力はプライベートでも変わらない。よく訪れていた、東京・新宿区にある和食屋の店主がこう振り返る。

「誰にでも直接的で、頭の回転が速く、言わないことまで察してしまう。またそれが図星で。どんな人にも分け隔てなく接し、メチャクチャ優しい人でした。それに、あんなにお酒飲ませてくれたお客はいませんよ。ワインはシャンパンとシャブリ。おしゃべりは速い、次の予約も早い。数年間、年末年始営業にいてくれました。笑い話しか出ません」

おすぎとはケンカが絶えず、やがてそれぞれの道を歩むことになるが、やはりそこは双子の兄弟。目に見えない絆は固かった。ピーコさんが89年に悪性腫瘍の診断を受け、左目を摘出したときにはこんなことがあったという。

「おすぎさんはピーコさんのお見舞いにはほとんど来なかったそうです。なぜかというと、ピーコさんの仕事を代わって引き受けていたから。ほかに転移していなかったことがわかった時には、おすぎさんは自分のことのように喜んだそうです」(芸能関係者)

ピーコさんは2021年春に事務所を閉鎖し、同年秋ごろから、先に認知症の症状があったおすぎと同居を開始。芸能活動も休止した。ところが老々介護になった上に、ピーコさんにも同様の症状がみられたため同居を解消し、それぞれ高齢者施設に入所した。

「それでも、おすぎのことを気にかけていました」(同)

広く親しまれた人柄だったことから、芸能界からは追悼コメントが相次いでいる。

元フジテレビアナウンサーの山中秀樹は自身のXで「『おすぎとピーコ』のピーコさんの訃報。フジテレビの朝の番組のコメンテーターをやっていた頃に、番組終わりに時々アナウンス室に顔を出して雑談していた。ある時、何がきっかけだったか覚えてないが、自ら義眼を外してみせた。『痛くもなんともないのよ』と事もなげに言うのだがあれには驚いたなあ」と思い出を明かした。

同じく元フジテレビアナウンサーの長野智子もXに「若い頃、たくさんのことを教えて頂きました。。感謝しかありません。ありがとうございました。。」と感謝の言葉をつづった。

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