【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(1)】パ・リーグを2021年から23年まで3連覇し、22年には日本一にも輝いて黄金期を迎えたオリックス・バファローズ。04年の近鉄の球団合併後は混迷期に入り、下位に甘んじるシーズンも多かった。そんなさなか、岡田彰布監督が率いた10年のドラフトで入団したのが宮崎祐樹氏(37)。苦しい時代も知る宮崎氏ならではの裏話、交遊録を連載でお届けします。
初めまして、オリックス・バファローズOBの宮崎祐樹と申します。11年からプレーして9シーズン、実働は8年で234試合に出場。139安打、8本塁打、48打点がNPB時代の成績です。こういった連載コラムを担当させていただくことは恐れ多いですが、ご依頼をいただいた限りは全力で取り組みますのでよろしくお願い致します。
僕の故郷は佐賀県の唐津市です。プロ野球選手によくあるような地元での武勇伝はそんなにありません。小学校時代は「3番・投手」で試合に出させてもらってはいましたが、力が強いというくらいでそこまで目立つ存在というわけではありませんでした。
身長も小学校高学年で153センチくらいでしたかね。中学1年生の終わりごろでも背の順で前から3番目。勉強が得意なわけでもなく、ちょっとぽっちゃりした少年でしかありませんでした。
そのぽっちゃりが嫌で自分なりに筋トレを始めたんです。そのタイミングで身長が168センチほどに急激に大きくなって、ぽっちゃり体形が急に筋肉としてムキムキッとし始めて、それくらいが転機でしたかね。
それを機に打ったら飛ぶし、いいボールを投げられるようになり、運動能力のテストでも県トップクラスみたいになってしまいました。中学時代はボーイズリーグに入団したのですが、僕がすごいなと思っていた選手たちと肩を並べられるようになったイメージです。
中学1年から2年になって体も大きくなった。そのタイミングでの学力テストは、学年80人くらいのうち50番目くらいになっちゃったんですね。僕の後ろには30人しかいないじゃんという感じで、大ショックを受けて勉強もし始めました。
両親も姉も高校は唐津市内の進学校でした。親からも「その学校に行きなさい」ということで、野球もまあまあ強い学校だったので野球と勉強に真剣に打ち込み始めたという状況でした。
そのボーイズリーグのチームで僕が3年生の時に1年生で在籍していたのが、現在はDeNAベイスターズで中軸を打つ宮崎敏郎だったんです。敏郎もちっこくてコロコロッとしていて、中1のころの僕みたいだったんです。だから、あのころの誰もが今の敏郎の姿を想像することすらできなかったですね。
同じ名字の宮崎で実家も車で5分くらいの距離。お互いの実家への移動中には信号が1個しかありませんでしたしね(笑い)。でも、中学生で3年と1年ですから正直、そのころは交流はそんなにありませんでした。
話は少し未来に飛びますが、僕が社会人野球のセガサミーで2年目だった時に敏郎と再会することになります。敏郎が日本文理大4年としてウチの練習に参加しに来たんですね。体形はずいぶん変わっていましたが、そこで「久しぶりだね」と会話して新たなご縁が生まれました。次回はその際のエピソードについて書かせていただきます。