【プロレス蔵出し写真館】プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズファイナルステージ第6戦が、10月21日に東京ドームで行われた。3位から勝ち上がった横浜DeNAが巨人に3―2で逆転勝ちして2017年(平成29年)以来7年ぶりに4度目の日本シリーズ進出を決めた。
プロレス界でいち早く反応したのは、横浜DeNAベイスターズファンとして知られる〝黒のカリスマ〟蝶野正洋だった。
蝶野は「自分は今年、来年とけっこう横浜市のイベントに呼ばれていて、ベイスターズが横浜を盛り上げている雰囲気を感じている。このまま、しばらく突っ走るんじゃないかな」と、横浜DeNAの存在感を肌で感じていると語った。
横浜DeNAが日本シリーズを制した26年前の1998年(平成10年)、プロレス界は蝶野率いるnWo(ニュー・ワールド・オーダー)が爆発的ブームを巻き起こしていた。97年度には約43億円の経済効果があったとされ、Tシャツだけで6億円の売り上げを記録したという。
当時、サッカーでは〝ゴン〟中山雅史(ジュビロ磐田)や〝野人〟岡野雅行(浦和レッズ)が〝構成員〟とされ、プロ野球では横浜のエース三浦大輔投手(現・監督)と鈴木尚典外野手(現・一軍打撃コーチ)がメンバーとなっていた。
97年10月6日に横浜スタジアムを訪れた蝶野、武藤敬司、ヒロ斎藤、天山広吉はこの年限りで退団が決まっていた大矢明彦監督を手始めにワイロ(Tシャツ)を贈り、年明けの新日本プロレス1・4東京ドーム大会で三浦、鈴木尚のセコンド登場を実現させた。
「’97プロレス大賞」で最優秀選手賞(MVP)を受賞した蝶野は、ドーム大会の午前中に銀座東急ホテルで行われた授賞式にも三浦、鈴木尚を同席させ、その勢いのままドームへ向かった。
ドームの花道では2人を従えて入場。鈴木尚は「今までプロ野球選手でレスラーと一緒にリングに上がったケースはないでしょう。日本初ですから光栄です」と興奮気味。三浦は「年初めからすごいことになった。この勢いのままシーズンもいきたい」と目がランラン。ケンカキックで越中詩郎を下した蝶野らnWoメンバーとリングに上がってポーズを決めた(写真)。
蝶野と三浦監督は20年(令和2年)12月に東スポの正月紙面用で対談。蝶野は
「オレが横浜スタジアム行って勝ってる記憶がない」と監督に明かし、あえて行かないようにしていたと告白した。98年に優勝を決めた試合も、天山とTBSのスタジオから観戦する配慮をしたという。
そう公言していた蝶野だが、対談で三浦監督に「シーズン中、苦しいときは来ていただきたいです。選手たちにも気合を入れていただいて。始球式とかもいいですね」とリップサービスされ、22年9月21日に試合前イベントに登場してしまう。
三浦監督が投手、鈴木尚打撃コーチが捕手を務め「1球対決」が行われ、蝶野は空振り。試合は案の定、巨人に1―2で敗れた。蝶野が敗戦の〝元凶〟だったのだ。
さて、10月26日に横浜スタジアムで開幕したソフトバンクとの日本シリーズを前に蝶野は、東スポWEBにベイスターズの激励メッセージを寄せていた。
「ベイスターズの選手の面々はいかつくて、もうコワモテみたいな奴ばっかり。三浦監督が唯一の男前。だから監督を前面に出してもらって、表の顔は〝イケメン三浦〟。実働部隊は〝横浜いかつい軍団〟で日本一を取ってもらいたい」
さらに「だって〝危ない連中〟にしか見えないよね(笑い)」と蝶野は失礼極まりないエールを送った。
三浦監督は5年目の来季も続投することが球団から発表されている。来年以降も、好むと好まざるにかかわらず蝶野と〝黒い交際〟は続きそうだ(敬称略)。