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元日本代表GK松永成立氏が現在のストライカーにダメ出し「枠に入れる技術がない」

東スポWEB 2024年10月27日 11時5分

日本代表に世界で通用するエースストライカーは誕生するのか。元日本代表FW武田修宏氏(57=本紙評論家)と、同時代に活躍した同GK松永成立氏(62=現横浜Mコーチ)の対談最終回では、2026年北中米W杯アジア最終予選を戦う森保ジャパンが世界制覇に向けて、必要不可欠な世界的なエースストライカーと、守護神の育成について熱く語り合った。〈レジェンド対談・後編〉

武田氏(以下武田)GKコーチとして指導している中で、最近はGKに求められるものは増えてきていますね。

松永氏(以下松永)今は後ろからつなぐサッカーをやろうとして、チーム統括部もそういう選手を取ってきて…。(イングランドの)マンチェスター・シティーもそういうやり方でやっているけど、監督が代われば、やり方も変わるわけで、そのジレンマはあるかな。トータル的に後ろからつなげて、ゴールも守れるとか。ざっくりとした言い方になるけど、結局は総合的な能力を求めてやっていくしかないのかな。

武田 じゃあ、GKから見て今のストライカーってどう見てます? 僕は9番の選手が出てこない印象があって。

松永 まあ、今のストライカーは技術が伴っていないなって。シュートの精度とか。タケ(武田氏)は不器用に見えるけど、ちゃんと枠に入れる技術があったよ。(元アルゼンチン代表)ラモン・ディアスも晩年(横浜Mに)来たけど、左足の精度はずばぬけていた。ゴール前でプレッシャーを受けている中でも、しっかりと技術を発揮できていた。

武田 僕の目線で言うと、危ないストライカーって少ないかな。Jリーグを見ていてもクロスとか、シュートとか精度が落ちてるなって感じる。

松永 日産時代の(木村)和司さんや水沼(貴史)さん、金田(喜稔)さんがうまいのよ。単純にコースを狙うだけではなく、タイミングを外すのがものすごくうまい。今の選手は〝遊び〟というのか、そこが足りないかな。クロスを上げるときも、ちょっとずらしてキックをするとか。そういう選手は少ない。その辺を専門的に教えるコーチが必要だと思う。

武田 ゴール前専門のコーチとか、クロス専門のコーチがいたらいいってことですか。

松永 専門性の高いポジションに専門コーチを置けば…。その人のノウハウを直接に教えれば時間がかからない。これからは専門コーチが必要になってくる。タケはこぼれ球が来るポジションにいつもいた。それってオレにはわからないところ。直観なのか、何か考えがあるのか。頭の中にあるものを言葉にできるか。タケなら自分の言葉で選手に伝えられる。

武田 コーチは指導した選手が活躍するのが一番のやりがいですか。

松永 活躍すればうれしいけど。単純に、教えてすぐにキャッチがうまくなるとか、ダイビングがうまくなるとか。そっちの方がうれしいかな。今、サブと呼ばれる選手は、その積み重ねで試合に出るパーセンテージが高まっていくし、その過程の方がうれしい。

武田 いいGKの条件ってあります? シゲさん(松永氏)がこれまでの経験で思う日本代表になれる選手はこういう人だなって。

松永 うまくなるという観点で言えば、キャラクターと学習能力、身体能力。パフォーマンスになると、ベースのところがキチンとできている選手。意外と少ない。教える身としては、もっといい方法がないかと模索しながらやっている。それをメニューに落とし込んで、修正、向上するのが見られるのはうれしい。

武田 最後にシゲさんの今後の夢は?

松永 チーム単位だとJリーグとACLE(アジアチャンピオンズリーグ・エリート)を同じ年に取りたい。あとはW杯で日本代表の正GKを育てること。そうなる前に欧州に行ってしまう可能性もあるけど、コーチになってからずっと持ち続けているもの。後は追求することをやめないことかな。常に追求して、GKに役立つものを探していきたい。

武田 いい話を聞けました。シゲさんの研究心、向上心を持って取り組んでいく姿勢が勉強になりました。さすが同郷浜松の先輩ですね。(おわり)

☆たけだ・のぶひろ 1967年5月10日生まれ。静岡・浜松市出身。小1からサッカーに取り組み、名門・清水東高(静岡)を卒業した後の86年に読売クラブ入りした。86―87年シーズンには新人ながら日本年間最優秀選手賞を受賞。チーム名がヴェルディ川崎に変わったJリーグでは93、94年の2連覇に貢献した。A代表は87年に初選出。デビュー戦で初ゴールをマークした。2001年に現役を引退した。177センチ、73キロ。

☆まつなが・しげたつ 1962年8月12日生まれ。静岡・浜松市出身。小6からサッカーを始め、地元の浜名高から愛知学院大を経て85年に日産自動車(現横浜M)入り。88―89年シーズンから2季連続で3冠を獲得した。A代表は87年に初選出。ハンス・オフト監督時代の92年のダイナスティカップ、アジアカップ優勝に貢献した。2000年に引退。現在は横浜MのGKコーチとして後進の指導に取り組む。180センチ、74キロ。

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