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【マキ上田連載#1】鳥取で育った少女時代 箱入り娘で育って祖父母の店のお菓子も取り放題!

東スポWEB 2024年10月28日 16時5分

【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(1)】女子プロレス界の“レジェンド”マキ上田の新連載「ビューティ・ペア“かけめぐる”3年間の軌跡」がスタート。1970年代にジャッキー佐藤さんと結成したコンビで日本列島を大熱狂させるも、わずか3年でペア解消。そして現役引退を決断した。そんな激動の半生を振り返った。

1959年3月8日に鳥取県鳥取市下味野で生まれました。島根県よりも岡山県よりの町です。本名は上田眞基子。私の上には兄がいたんですが、赤ちゃんの時に肺炎で亡くなって、その次に生まれました。次の子は長生きしてほしいと、大切に大切に育てられた箱入り娘でした。今は5つ下と8つ下の妹2人との3姉妹です。

小さいころ、父が単身赴任で大阪に住んでいたんです。なので母と私たちはずっと鳥取の祖父母の家と大阪を行ったり来たりしていました。だから、まともに幼稚園に行っていなかったので、そのころの記憶があんまりないんです。最初の記憶は2、3歳のころかな? 大阪にいた時に台風の影響で大洪水があったらしくて、家の中まで浸水しちゃって。ガラスが割れて目の下あたりに刺さったことがあったんです。それでみんな大騒ぎしていたのが、かすかに記憶にあります。その傷、今はほとんどわからないですけどね。

鳥取の祖父母の家は今で言うコンビニみたいなお酒もたばこも文房具もなんでも売っている店をやっていたんです。当時では珍しく精米機もあったし、電話も引いてあったので、電話が鳴ると「○○さん、誰それのおうちに電話がかかってきてます。来てください」って放送を流しているような家でした。なので祖父母は町の中では長老みたいな、みんなから頼られている存在でした。

そしてさっき言ったように兄が亡くなっているので、祖父母は初孫だった私にメロメロ。お店のお菓子をいくら取っても怒られなかったんです。まさに“盗りたい放題”。アイスクリームとか、牛乳とか駄菓子、学校で使うノートや鉛筆は全部お店のもので「これ欲しい」と言うと何でも祖母がくれました。

だから駄菓子屋さんにあるあめのくじがあったじゃないですか。普通、上からひもを引っ張って、上がってきたあめを取るけど、私は下から一番大きいあめを引っ張って食べてました。それと、くじ引きなんかも引き放題。箱が届いたら最初にくじを開けて、欲しい景品のくじだけ自分のもとに取っておく。最後にほとんどのくじが引かれたところで、くじを差し出して「これ私のもの」って。それでも何も言われない。ちょっといたずらっ子な面があったかもしれないです。

そのうちに妹が生まれました。でも5歳も離れていると遊びが違うから、ケンカはしなかったですね。それでも母からは「アンタはお姉ちゃんだから…」って言われ続けて。おかげで我慢強くなりました。もしかしたらこの時に精神面を鍛えられたおかげでプロレスラーになれたのかもしれないですね。

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