〝ミスター女子プロレス〟ことLLPW―Xの神取忍が、30日に還暦を迎える。11月18日には東京ドームシティホールで「神取忍還暦祭り」が開催され、メインで梅咲遥、水波綾と組み、堀田祐美子、中森華子、なつぽいと対戦する。1986年のデビューから一度も引退をせず現役を続けてきた神取が影響を受けた3人とは、一体誰なのか。壮絶な38年のプロレス人生を振り返り、ミスター女子プロレスの原点に迫る――。
――還暦おめでとうございます!
神取 自分の中で全然意識してないけど、周りに言われて「そうか、還暦か」って。プロレスを始めた時は、3年やれば大体のことを網羅できて納得して辞めるだろうと思ってたんだけど。今でもやってるってことは、まだ自分の中で納得した答えが出てないんだね。それぐらいプロレスって深いんだよ。北斗晶に「お前はプロレスを愛してない」って言われたけど、一回も引退せず続けてるってことは、それだけプロレスが好きなんだろうね。
――プロレスとの出合いは
神取 中学生で柔道を始めてクラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)が全盛期の時に自分は世界選手権とか出てて見てなかったから、プロレスに憧れもないし、ある意味ナメてた部分があった。ちょうど柔道を辞めてジムのインストラクターになろうかなって思ってた時に、柔道仲間が勝手にジャパン女子プロレスに履歴書を送ったんだよ。それで話を聞きに行ったら「柔道は投げられてもお金にならないでしょ。プロレスは儲かるじゃないんだよ。税金対策が大変なんだよ」って言われて「それだけお金がすごいのかな」って興味湧くじゃん。
――お金につられた…
神取 まあ、それだけじゃなくて「投げられて、投げる。相手と戦うことによってメッセージを送れるでしょ」って。確かに柔道の大会で優勝してみんなは喜ぶけど、負けたら「残念だったね」の世界だったから。戦いの過程全てが一つのメッセージになるってところに興味を持ったんだよ。
――入門してからは新日本プロレスの故山本小鉄さんから指導を受けた
神取 柔道だと技を受けたら負けじゃん。でも、プロレスの受けの美学を教えてくれて、自分の考えを180度変えてくれたのは小鉄さん。小鉄さんがいなかったら、多分ナメたままで中途半端なプロレスラーで終わってたと思う。
――練習はどうだった
神取 すごい厳しかったよ。当時はプレハブ小屋で気温が50度の中、4時間以上練習してた。どうしても柔道からの癖で腕をつかんじゃうことがあって、スパーリング練習では何回も怒られた。新日本の男子選手とスパーリングやらされてたしね。それに受け身が全然できなくて。今でも下手くそって言われるけど、柔道は基本横受け身だから、前とか後ろに倒れるのが怖くて腰が引けちゃって、全然うまくできなかった。その時に小鉄さんに「持ってる看板なんて何の役にも立たない」ってことと「プロレスは思いやり」という言葉を教わった。
――考え方が変わった
神取 柔道の先生にも「柔道は相手がいなければ強くなれないから思いやりを持って投げろ」って教えられて、小鉄さんにも「プロレスは技をかけるのもケガをさせてはいけない。思いやりを持つんだ」って言われて。2人の言葉がリンクして、プロレスとの向き合い方が変わった。今の自分があるのは、小鉄さんのおかげ。
――ジャパン女子では、後にLLPWをともに立ち上げる故風間ルミさんと出会った
神取 風間はシュートボクシングをやってたから、一緒に四天王って言われて試合してたね。ジャッキー(佐藤)さんの件(※)があって、「もうジャパン女子は嫌だな」ってなった時も風間から「戻ればいいよ」って何度も連絡が来て。断っていたんだけど、そのうちにジャパン女子が解散になるってなって。その話し合いの場に風間が呼ばれなかったっていうのを聞いて、この団体に骨をうずめようとして試行錯誤苦労した人を、そんな扱いは失礼な話だろと思ったんだよ。風間も「そのまま終わりたくはない」って言うから、じゃあ団体立ち上げようってなった。
――その頃はフリーで活動していた
神取 そんなに試合もなかったから、時折北海道に行って農業高の実験で使われた野菜を販売するお手伝いをして、お小遣いを稼いでたんだよ。もうプロレスを辞めようかなとも思ってたけど、風間と話したりして気持ちが戻った。
――LLPW旗揚げで苦労したことは
神取 リングを揃えるのに、当時はリング1つで600万から800万だった。高価だったからどうにかスポンサーを集めてお金を工面してもらったんだけど、お金が揃ったところで仲介してくれてた人にそのお金を持ち逃げされて、風間と絶望したよ。その後もさ、借金してようやく手に入れたリングが届いたら、力道山が使ってたぐらいの古いリングでロープがものすごく高いんだよ。みんなひっくり返って落っこっちゃうけど、買い替えるにはお金もないから、風間と一緒に溶接し直して自分たちでリングの構造を調べて作り替えたりした。
――風間さんの存在は
神取 覚えていないくらいささいなことでケンカばっかりしてたけど、団体をゼロから立ち上げて今に至るのは、常に風間と支え合ってきた時間があるから。風間みたいな人とはなかなか巡り合えないと思ってる。毎年仏壇に手を合わさせてもらってるけど、風間のおばさんが「お墓を荒らされたくないから」って誰にもお墓の場所を教えてなくてね。何度も説得してるけど、まだお墓にたどり着けてないんだ。でも、今も心の中ではつながってると思ってるよ。
――38年の現役生活で最も影響を受けた人は
神取 会ったことないけど力道山かな。LLPWを旗揚げした時はバブルがはじけた直後で、スポンサーがなかなかつかなくて。プロレスって女子の方が先に日本に来ているのに、なぜ男子の方が人気があるんだろうって調べまくった。そしたら力道山は社会貢献を第一に考えてプロレスを始めたっていうのを読んだ。うちもそれを主軸にしようと思ってこれまで団体をやってきたら、そのうちに輪が広がっていったね。今も地域貢献をできるように働きかけてるよ。これからも力道山のように社会に対して影響を与えるようなプロレスをしていきたいよね。
――今後も現役を貫くのか
神取 自分に「何クソ!」っていう気持ちが湧かなくなったり、体が動かなくなったら、そろそろだよねって思うけど、まだまだ元気だからね。だから、自分の戦う姿を見て、どんな年代の人にも「何ごとも挑戦するのに年なんて関係ない」って伝わったらいいと思ってる。還暦祭りでも、そんな姿を見せて「自分も前を向いて頑張ろう」って気持ちを与えられるような試合をしたいと思ってるよ。(インタビュー・木元理珠)
※87年7月18日の神奈川・大和大会は、神取がジャッキーさんの顔面を殴るケンカマッチに
☆かんどり・しのぶ 1964年10月30日生まれ、横浜市出身。町道場で15歳から柔道を始め、84年世界女子柔道選手権で銅メダルを獲得。86年にジャパン女子プロレスに入門し、同年8月17日の旗揚げ戦(後楽園)でデビューした。団体崩壊後の92年8月に故風間ルミさんらとLLPWを旗揚げし、93年には全日本女子プロレスとの対抗戦で北斗晶と2度の死闘を繰り広げた。2004年7月の参院選で落選したが、06年10月に繰り上げ当選し政治家としても活躍。得意技は神取スペシャル。170センチ、75キロ。