【プロレス蔵出し写真館】バイプレーヤーに徹して新日本プロレスを支えたスーパー・ストロング・マシンは、2018年(平成30年)6月19日、後楽園ホール大会で引退セレモニーを行ってリングに別れを告げた。
近況が伝わってこないが、どうしているだろうか。
マシンは電話口で「消息不明です」と冗談を言ってなごませてくれると、「もう年金生活。隠居してます。生活は普通にしてるけど、(体の)調子が悪いんでね。仕事がなにもできないんです。トレーニングも全然できないし。さっき病院から帰ってきたばかりだよ」と、レスラー時代のダメージの深刻さを明かした。
ところで、マシンといえば30年前の〝迷言〟があまりに有名だ。いまだに、ときおり使われる「しょっぱい試合ですいません」。なぜあの迷言が生まれたのだろう。
その発言が飛び出したのは、1994年(平成6年)10月30日、両国国技館のSGタッグリーグ優勝戦。蝶野正洋とコンビを結成していたマシンはヘルレイザーズ(ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー)を破り決勝へ進出。不戦勝で長州力&谷津嘉章組から勝ち点を挙げた武藤敬司&馳浩組と同点で優勝を争った。
マシンと蝶野組はリーグ戦が始まった当初から呼吸が合わず、チグハグな試合を展開していた。1人ずつで入場、タッチ拒否、ラリアートやケンカキックの誤爆など、いつ空中分解してもおかしくない状態。しかし、あれよあれよと決勝にまでコマを進める。
のちに蝶野は「一匹狼になったのに無理やり組まされて…。せっかく一人になったのにパートナーを付けられたことに対しての不満を飛ばしてたと思う。そのあとヒロ斎藤さんをパートナーに付けられたり…」と明かし、「どうせだったらイケメンのいい男が付くのかと思ったらストロング・マシンとかヒロ(斎藤)さんだったんで…」と笑わすことも忘れなかった。
さて、決勝の舞台では危惧していたことが起こる。マシンが馳にSTFを決めると、蝶野は〝オレの技を使うんじゃねぇー〟とばかりマシンを蹴りつけた。これまで散々、蝶野の暴挙に耐えてきたマシンの怒りがついに爆発する。
蝶野をラリアートで吹っ飛ばし、自らの手でマスクを脱いで蝶野の顔面に叩きつけた。館内は素顔の平田淳嗣に「平田コール」の大合唱。平田は再度、蝶野にラリアートを見舞うと、蝶野はそのまま試合を放棄して引き揚げてしまう。
孤立した平田は武藤と馳にダブルドロップキックを浴び、馳の裏投げから武藤のムーンサルトプレスを食らう。武藤組の必勝パターンを2度繰り返され、ピンフォールを奪われて敗戦した。
武藤と馳に抱き起こされた平田は、マイクを手にすると「みなさん、こんなしょっぱい試合ですいません」と絶叫。館内は再び大「平田コール」に包まれた。
当時を振り返った平田は「オレが(場)外でうずくまってるとき、近くに来た武藤にボソボソと『平田さん、上にあがってなんか言った方がいいですよ』って言われて。馳は鼻の穴かっぴろげてたな。なんか言えって言っても言うことないなと思って…試合がお客さんの期待に沿わないしょっぱい試合になったから、そういうふうな言葉が出てきたんですよ。自然と出てきたんです。アドリブです」と明かした。
「あのマスク取るのもアドリブです。ヤケになって〝クソ―!この野郎〟って頭きてマスクぶん投げた。またすぐかぶり直しゃいいやと思ってた。あれで馳と武藤が目立たなくなっちゃったね(笑い)。蝶野と組んだそのシリーズは、ずっとそういう変な試合ばっかりだったんです。結局、決勝戦まで行っちゃったけど、最後の最後に〝もう堪忍袋の緒が切れた〟。ホント悪い奴ですよ、あいつ」と平田は笑う。
ずいぶんたってから2人の関係は良好なものとなり、蝶野が現場監督を務めたときはアドバイスをしたと明かし、蝶野も「(しょっぱい試合発言は)記事で見ました。あとは(平田さんに)感謝してるんですけど」と語る。
アドリブで飛び出した迷言は、平田の誠実な人柄ゆえに出てきた言葉だった(敬称略)。