まことちゃんハウスは今――。「漂流教室」「まことちゃん」でおなじみの漫画家・楳図かずお(本名・楳図一雄=享年88)さんが亡くなっていたことを受けて5日、ファンらが天才漫画家の死に涙した。赤と白のボーダーシャツを愛用し、東京・吉祥寺を歩く姿が地元民に親しまれていた。ファンたちはその吉祥寺に建つ〝まことちゃんハウス〟の記念館化を期待している。
楳図さんが亡くなったのは10月28日。胃がん療養中で東京都内のホスピスで死去した。葬儀はすでに近親者で執り行われたという。
漫画界の巨匠の死に多くの有名人が追悼している。ファンで知られるタレントの中川翔子はこの日、自身のX(旧ツイッター)で「わたしの人生は楳図かずお先生のおかげで今があります」と感謝の言葉を投稿。ほかにも漫画家らが思い出をつづっている。
楳図さんは小学生のときに漫画家を志し、1955年にプロデビュー。「へび少女」「おろち」などでホラー漫画の第1人者となった後、72年に「漂流教室」の連載がスタート。人気を博した。
76年にはギャグテイストにあふれた「まことちゃん」を発表。中指と小指を折り曲げる「グワシ」ポーズは本人の代名詞ともなった。95年に「14歳」が完結して以降は休筆したが、バラエティー番組には積極的に出演し、日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の「絶対に笑ってはいけない」シリーズに何度も登場していた。
楳図さんといえば赤と白のボーダーシャツをいつも着用していることで有名だった。紅白シャツを着る楳図さんは住んでいた吉祥寺の街を歩く姿が頻繁に目撃されている。2007年には吉祥寺に壁が紅白の〝まことちゃんハウス〟を建てていた。
完成当時から多くのファンがハウス前を訪れていたが、訃報のあったこの日も花束を持って駆けつけるファンがいた。花束を玄関に置き、まことちゃんハウスに手を合わせた40代男性は涙を浮かべながら「子供のころから楳図さんの作品が好きで、古本屋を巡って初版本を探したくらい。2000年ごろに吉祥寺で背筋をピンと伸ばしてワインを飲んでいる先生がいて声をかけたんです」と思い出を語った。
男性が「絵のタッチが好き」と伝えると「ファンでいてくれてありがとう」と気さくに話してくれ、その後も街で見かける度にあいさつをしていたという。
まことちゃんハウスはパワースポット化していた。前出の男性ファンは「ここにはたまに来ています。パワーをもらっています」と話し、今後のハウスについて「ファンが中に入って見学できるようにしてほしい。でも、楳図さんに何か考えがあったならそれに沿う形にしてほしい」と話した。
子供のころにまことちゃんの人形をいつも背負っていたという女性ファンも「初めて来たけど記念館にしてもいいのでは? かわいいしきれいだし、予想してたより派手でもない」と期待した。
一方で「過去に騒動があったように近所の人の思いもあるでしょうね。ここは閑静な住宅街だし。それでもファンの人は来てしまいそう」(同)と心配もしていた。
過去の騒動とはまことちゃんハウスを巡って起きた訴訟のことだ。建築中に近隣住民が「景観破壊だ」と訴えたことでニュースに取り上げられ全国的な話題となっていた。最終的に請求は棄却され問題なしとなったものの、楳図さんと近隣住民の間に禍根を残したのは間違いない。
ある近所住民によると、訴訟の影響なのか、楳図さんはまことちゃんハウスには住まず、取材など仕事のときだけ来るようになっていたという。まことちゃんハウスが〝楳図かずお記念館〟になるには周辺住民の理解が必要だろう。
ハウス完成当時の取材に楳図さんは「とりあえず『自分が住みたい家』と言うことで作りました」とし、「絵を飾りたいと思っています。家の中はスッキリしています。クラシック+ポップが狙いです」と答えていた。
まことちゃんハウスの今後に注目が集まっている。