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【宮崎祐樹連載#9】「守備じゃない」打力を買って起用してくれたセガサミー佐々木誠監督

東スポWEB 2024年11月6日 11時14分

【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(9)】亜細亜大の野球部時代はろくに試合にも出られなかった僕ですが、社会人野球のセガサミーに進んでからはガラッと生活が変わりました。入社間もない春から最初は指名打者で、結果を出し始めると3番・中堅でレギュラーとして起用していただきました。

僕はそもそも高校、大学と捕手としてプレーしてきました。でも、セガサミーには同期に捕手が2人入部しています。つまり、僕の打力を買ってくれた佐々木誠監督は僕を捕手として起用するつもりはなかったということです。

黒川コーチは「お前は絶対に打つから」という評価をしていただき、佐々木監督にも起用を進言してくれていたそうです。そうすると実際に僕は打つことができたので、佐々木監督は「黒川コーチがそういうから使ったんや。そしたら打つから、勝手にレギュラーになった。守備はもうしゃあない」というノリだったそうです。

その豪快なノリというか、佐々木誠さんという人物は豪放らい落な方でした。岡山県立水島工業高では投手として活躍するも、打力を買われ1983年ドラ6で南海ホークスに外野手として入団。猛練習でレギュラーの一角をつかんだ選手です。西武時代の95年にはFA権を取得され、MLB球団からのオファーがあったそうです。

左打席で右足を大きく上げて豪快にフルスイング。そのプレースタイルも相まって人気選手でした。首位打者1回、盗塁王2回、最多安打2回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ4回など堂々の成績を残されたスーパースターです。南海がダイエーに球団を売却した際には当時のエース・加藤伸一さんと一緒にユニホーム発表会のモデルに選ばれましたからね。

ダイエーのヘルメットを覚えている方も多いですよね。よく「ガッチャマン」と表現される鷹の目がヘルメットにプリントされている独特のデザインです。僕自身、佐々木さんとは年齢はかなり離れていますが、その印象を強く持っていて記憶していた選手でした。

昭和の根性野球で鍛えられた時代の指導者です。本当に厳しく指導していただきました。僕自身、捕手から外野手に転向して2年でプロに行くという明確な目標がありました。練習では毎日、最後まで居残り練習をして、慣れない外野守備も特守で鍛えてもらいました。

大学時代に4年間、試合に出られなかった僕はレギュラーで起用してもらい本当に充実していました。ただ、外野手としては分からないことが多過ぎて考えながらプレーしていましたが…。

厳しい練習も亜細亜大時代の厳しすぎる練習のおかげで耐えることができました。生田監督から「体が強くないと選手として計算が立たないから」と言われていた意味がよく分かりました。選手として試合に出場し結果を残しながら、さらに鍛えて技術も体力も向上させなくてはいけない。僕にとって社会人野球での2年間がそういう日々でした。

次回はセガサミーでの佐々木監督との練習エピソードについてお話しさせていただきたいと思います。

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