2025年に開催される大阪・関西万博を前に1970年に大阪府で行われた「日本万国博覧会」の思い出を料理人・肥田順さん(74)が振り返った。肥田さんのシェフとしてのキャリアは、万博がスタートだった。現在は大阪・玉出駅近くで「びすとろぽたじぇ」を経営するかたわら、月に1回、プロも参加する料理教室を実施している。
70年に辻調理師専門学校を卒業した肥田さんだったが、就職先がなく、先生に薦められた就職先が万博の海外パビリオンだったという。「先生に『給料のいいところ』と言ったらベルギーだった。すぐに領事館で面接して、すぐに就職決定したんです」と、ベルギー館の周りのベルギードーナツのショップで働いたという。
日本でよく見る穴の開いたドーナツではなく、ふんわりしたサーターアンダギーのようなドーナツだった。「暑くなってくるとドーナツより『かき氷』がよく売れた。ベルギーにかき氷なんてないけど、会場内を走る電気自動車が物販で回ってくるんです。氷が手に入ったら、普通のシロップをかけたかき氷を売ってました。レジを打つヒマもないくらい、飛ぶように売れた」
大学生のアルバイトがどんどん辞めていく過酷な就労環境だった。「万博は3月に始まったけど、GWまで客足はイマイチだった。評判を聞いたのかGW後は、働いてるスタッフが帰れないくらい忙しくなって。会場内に段ボールを敷いて寝て、水道にホースを付けて水浴びをしてました。くいだおれ人形のお店が、帰れないスタッフ向けに弁当を販売してたな」
お給料はドンドン上がったという。「最後の月って、すーごいもらいましたからね。一流銀行の部長の給料くらい。自分でもびっくりした」とぶっちゃけた。
「僕も今回最後やから、(大阪・関西万博に)小さい店を出したかったんですけどね。でかいところしか、個人では出店できないみたいですね。70年の時は(飲食店が)足らんから、いろんな所が入ってたんやけどね」と振り返っていた。