ネクタイとジャケットが、一人のプロレスラー人生を変えた。全日本プロレスで活躍した元3冠ヘビー級王者の太陽ケア(48)が、師匠の故ジャイアント馬場さん(享年61)命日となる来年1月31日に、東京・後楽園ホールで現役を引退する。
「ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会」(東京スポーツ新聞社後援)で、大会実行委員長を務める全日プロの和田京平名誉レフェリー(69)は、「馬場さんの命日に引退するって奇跡だし、やっぱり彼はファミリーだったんだよね。ケアほど全日本プロレスの血を持った人はいないんですよ」としみじみと口にした。
ケアと初めて会った時のことは、今でも忘れない。1994年6月、馬場さんがハワイでオフを過ごしていた時だ。当時のPWF会長ロード・ブレアーズの紹介で、18歳の青年と会うことになった。それが後に太陽ケアとして活躍するマウナケア・モスマンだ。
レストランのランチに同席した和田氏は「ブレアーズの紹介で馬場さんは断れないから、とりあえず面接だけして断ろうとしてたんだよ。ハワイアンを認めてなかったわけじゃないけど、暖かいハワイで真面目なヤツはいないだろうと思っていたから」と振り返る。馬場さんは「どうせTシャツにビーチサンダル、短パンで来る。それがハワイなんだよ」と言い、当初獲得する意思は全くなかったという。
ところが、ブレアーズと姿を現したケアの姿を見てビックリ。きっちりネクタイを締めジャケットを着用していたのだ。「なに!」と驚いた馬場さんは「ほう ハワイアンでこんな真面目なヤツがいるのか」と心を動かされた。「本気でプロレスをやる気があるのか?」と確認すると、ケアは「イエス!」と即答。馬場さんはそのまま日本に連れて帰り、同年11月にデビューした。
和田氏は「その初対面で、馬場さんが気に入っちゃったんだよ。これはすごいって。それからは馬場さんが一から手取り足取り、教えていたからね。それこそ他の連中が『何でこいつだけ』ってジェラシーを抱くくらいだった」と明かす。
後日、和田氏が「お前を最初に見た時、ネクタイをしてちゃんとした格好、していたけど、あれはベストだったよ」と教えると、ケアは「最初はTシャツに短パンで行こうと思った。でも、祖母が『日本人はちゃんとしている人ばかりだから、ちゃんとした格好でいきなさい』ってアドバイスしてくれたんだ」。人生を変えてくれた看護師の祖母に感謝の気持ちを持っていたという。
引退試合ではケア&鈴木みのる&MAZADAが「GURENTAI」を復活させ、秋山準&丸藤正道&小島聡と激突する。
和田氏は「立派なレスラーに育って強くなった。太陽ケア、本当に太陽ですよね。僕も面接の時にいた縁があるんで、レフェリーをやらせていただきたい」と表明。今年デビュー50周年を迎えた名レフェリーが〝最愛の家族〟最後の雄姿を見届ける。