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【マキ上田連載#10】「かけめぐる青春」が大ヒットも月給は10万円のまま

東スポWEB 2024年11月13日 16時9分

【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(10)】1976年11月にビューティ・ペアは「かけめぐる青春」でレコードデビューしました。ただレコーディングをしている時は誰も売れるなんて思っていませんでした。

テレビ中継をやってたフジテレビ系っていう冠があるから歌も作ろうかみたいな軽い感じで始まって。歌ってる私たちは歌が好きなわけじゃなかったから、プロレスが本業で歌は副業だと思ってました。だから躍起になって売ろうとしてたのはレコード会社の人だけじゃないかな。それがどんどん人気になって正直驚きましたよ。

ただ、めちゃめちゃ忙しくなったんだけど、給料は入門した時と変わらず月10万円でした。私たちも子供だったから、金銭的なことが全然わかってなかったし、大人なんて会社の人しかいなかったから「もっともらった方がいい」とか教えてもらえませんでした。それに芸能活動をしている先輩もいなかったから、何も考えず、文句も言わずジャッキーと2人で黙々と仕事をこなしてた。会社からしたら「言うことを聞くいい子たちだ」って感じで使いたい放題でしたね。

ビューティがそこそこ売れてきたころには興行主さんたちに「ビューティが来る」って言うと売れるから普通の倍の値段で売ってたみたいで、何千万円っていう金額で契約していたらしい。それに当時は会場に入るだけお客さんを入れてたし、チケットも今と違って現金で払うじゃない? 入り口でスタッフの人がお客さんからもらった現金を段ボールがいっぱいになるまで入れて、そのお金を足で踏んで詰め込んでたのを見たことがある。そのころには給料も上がって最高は月100万はもらってたかな。

結果的に「かけめぐる青春」は正確に言うと88万枚売れたの。演歌歌手でも歌が1曲ヒットしたら「家が建つ」みたいなことよく言うじゃない? きっと2人で田園調布あたりに立派な家が3軒建てられたくらいは稼いでたはず。レコードの印税もグッズも何もかも権利は全部会社が持ってたから、松永兄弟は実際に家を建ててたみたいですけど、その家にも行ったことない。

まあ、お金持ちすぎて最終的に全女は失敗しちゃったからね。松永(高司)社長は表向きは人当たりのいいトップだったんですよ。私も周りをあまり気にしない性格だったから、社長が腹黒いとか裏があるとか一切思ってなかった。それにあまりにも忙しすぎて、お金にしても何にしても考える暇がない。毎日疲れきって「寝たい」としか考えてなかったからね。

それが作戦だったかもしれない(笑い)。今思うと引退する時も、退職金みたいなものは一切なかったし、もっとわがままを言っておけばよかったなって思うよ。

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