【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(11)】レコードデビューとなった「かけめぐる青春」を1976年11月に発売してから、全日本女子プロレスの中継をやっていたフジテレビ系の番組にはほとんど出ましたね。それに大人気番組の「8時だョ!全員集合」にも出ましたね。ジャッキー(佐藤)と私でかつらをかぶって原始人の格好し、石のお金を抱えて「わっせ、わっせ」って運ぶコントをやったのは覚えてます。
一番嫌だったのは「夜のヒットスタジオ」。自分たちが次の人の楽曲を歌いながら紹介するの。その歌詞が覚えられなくて。番組では、山口百恵ちゃんや森昌子さん、ピンク・レディーがよく一緒だった。特にミーちゃん、ケイちゃんとは仲良かったですね。2人は歌を撮ってすぐにテレビ局を後にするって感じで、控室とかで待ってる時くらいしか会えなかったけど「最近どう?」とかってよく話していたな。
あと、番組の中でラブラブショーっていうコーナーがあって、出たことがあるの。歌手や俳優とか芸能人同士がお見合いをする番組なんだけど、当時ビューティはフジテレビでいい扱いしてもらってたから「マキは誰と会いたい?」と聞かれ、草刈正雄さんって答えたの。ジャッキーは勝新太郎さんのお兄さんの若山富三郎さんって答えて笑ったのを覚えてます。
一応私の案が採用されたんだけど、草刈さんのスケジュールが合わなくて会えなかったんです。でも代わりで出てきたのが百恵ちゃんと結婚する前の三浦友和さん。当時まだそこまで売れてなかったんじゃないかな。司会者の人に「どんな趣味ですか」みたいなことを聞かれながら話をして。でもカップルにはならなかった気がするけどね。
77年には紅白歌合戦にもゲスト出演した。実はNHKのスタッフにプロレスファンが多くいて。それに人気もレコードの売り上げも認められていたから出場枠を取れそうだったみたい。でも試合の中継はフジテレビだったし、NHKに一つも貢献してないっていう理由で出られずにゲスト枠。レコード会社も悔しかったみたい。一つくらいNHKの番組出ていたらよかったのにね(笑い)。残念でしたよね。
でも応援団として曲を歌えて一番喜んでたのは家族でしたね。あとで実家に帰った時に「紅白みんなで見てた」って言われて、素直にうれしかった。私たちが歌っている前で後輩たちがリングつくって試合してたはずですよ。それと紅白のためにつくった電飾のマントをまとって登場したの。応援団なのに一番豪華でさ。そんな派手な衣装で歌う人はいなかったから、話題になりましたね。
だから、その後に電飾の衣装で出てきた小林幸子さんは、ビューティのマネしたんじゃないかなって(笑い)。