「ボス」こと米ロック界の大御所、ブルース・スプリングスティーンのメガヒットアルバム「ボーン・イン・ザ・USA」(1984年)の日本独自企画盤「40周年記念ジャパン・エディション」がソニー・ミュージックから9月25日にリリースされ、大反響を呼んでいる。制作を担当した白木哲也氏に40年たっても色あせない歴史的名盤の魅力を聞いた。
白木氏はスプリングスティーンを担当して30年目。昨年は15年がかりでボブ・ディランの名作ライブ盤「武道館」(78年)の日本企画盤4枚組CD「コンプリート武道館」を実現させた名ディレクターだ。今回の40周年盤はどのような経緯で発売に至ったのか。
「海外では大がかりな記念盤が出ないことが分かり、日本独自の企画盤ができないかというところから始まりました。日本独自企画は僕が担当になった30年前からリクエストしていましたが瞬殺でしたね(笑い)。とにかくハードルが高い。そのうち何度もミーティングで顔を合わせているうちにやっとOKが出た。30年かかってようやく日本独自の企画が実現しました」(白木氏)
反響は大きく、10月第1週のオリコン週間洋楽アルバム初登場6位、総合で24位を記録。一時は品切れにもなった。オリジナルアルバムに加え、3枚のボーナスCDは85年8月、地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでのライブ29曲を収録。「レーシング・イン・ザ・ストリート」「ロザリータ」を84年8月、NJのブレンダン・バーン・アリーナでの音源から加えた。全31曲中26曲が日本でも演奏された曲で、初来日公演に近いライブが体験できる。
「日本公演の音源がなかったので、リクエストしたのがセットリストが3分の2以上、日本公演とかぶっているNJのライブでした。何度も交渉した末、3枚組フルライブ29曲にボーナストラックで2曲が追加されています。トータル3時間、ほぼ日本公演と同じ内容になっています」
特典も濃い。日本独自の見開き7インチ紙ジャケット仕様。76ページの豪華な「メモリアル・フォト・ブック」には当時のライブ写真やオフショット、各種メモラビリアなど貴重な資料の集大成となっている。初来日の秘話満載の日本語ブックレット、公演ポスターも封入されている。そもそも「ボーン・イン・ザ・USA」とはどんな曲、アルバムなのか。
「アメリカが力強い時代に、世界で最も売れたロックアルバムの一枚。シングルも7枚出て、全部ヒットしたが、逆に売れすぎて誤解を受けてしまった。本人は抗議しましたが、レーガン大統領(当時)が勝手に選挙キャンペーンで使用したり、このジャケットで『ボーン・イン・ザ・USA』と叫んだら国粋主義者のイメージが生まれてしまった。しかし内容はベトナム戦争の悲惨さと帰還兵の悲劇を歌った反戦歌なんです。売れすぎてモンスターアルバムになったので彼の中には葛藤が生まれ、次作までに影響を与える分岐点になった。高揚感のある曲調で、彼がビデオで拳を突き上げちゃった影響もある。米国人はもちろんマネをしましたし、日本でも各国でもそうだった。『ボーン――』は“史上最も誤解された名曲”なんです」
名曲であるがゆえに大統領選挙のたびに引っ張り出されてしまう「不幸」にも見舞われた。
「10月になりカマラ・ハリス氏支持を表明しました。本人は本当は政治に関わりたくないと思うんですが、今回はやらざるを得ない状況になったんでしょう。本来はアメリカの底辺の労働者や若者の歌ばかり歌い続けてきた人。アメリカが自分の考えるものとは違う方向に向かいそうな状況になって、動かざるを得なくなった。決して政治的活動に向かう人ではなかったのに『ボーン――』以降は祭り上げられてしまい、ただのロックの兄ちゃんがアメリカを背負わされる存在になってしまった。とはいえ本人は今でも変わっていない。僕は10回くらい会いましたが、本当に“誠実”という言葉が一番似合うアーティストのままです」
独自のライブ盤が発売されたのは日本のみ。日本人の心意気をブルース側が分かってくれてできた画期的なプロダクツだと白木氏は胸を張る。
「オリジナルアルバムでいえば誤解を受けた曲もあるし、40年たった今、この記念盤でしっかり聴いてほしい。3枚組ライブはライブの神髄が入っていると思うので、日本公演を経験された方は絶対に『やっぱり、すごかった』と当時の熱い気持ちがよみがえってくると思います。僕も日本公演で人生が変わった。3時間もある、すごいライブなので聴くのは大変ですが、体験できなかった方も、同じような疑似体験ができるはずです」
97年の国際フォーラム公演以降、再来日は実現していない。
「オファーは続けています。『日本が嫌いだから来ない』と言う人もいますが、それは全く違う。本人たちも来たがっています。可能性はゼロではない。タイミングの問題で、僕は来てくれると信じ続けています。信じ続ければ夢はかなうと思っています」
今回の40周年記念盤を聴きながら、希望を持ってその日を待ち続けたい。