ノアの齋藤彰俊が、自身の引退記念興行(17日、愛知・ドルフィンズアリーナ)で約34年のプロレス人生にピリオドを打った。
7月13日の日本武道館大会で現役引退を表明。引退ロードでは、盟友のモハメドヨネと最後にGHCタッグ王座に挑戦し、また元タッグパートナー・秋山準(DDT)との越境タッグも実現した。最後の後楽園大会では越中詩郎、AKIRAと往年の名ユニット「平成維震軍」の復活を果たし、プロレス人生の終焉に向け歩みを進めてきた。
ラストマッチは齋藤の希望で、ノアを旗揚げから支えてきた丸藤正道と一騎打ちで激突した。入場では2009年6月13日に試合中のアクシデントで死去した故三沢光晴さんが着用していたエメラルドグリーンのガウンと旗を手に持ち登場。目に涙を浮かべらならリングに上がった。
試合では、丸藤の強烈なチョップを受けるとショルダータックルで吹き飛ばす。さらに滞空式ブレーンバスターでマットに叩きつけ、三沢さんの最後の試合で齋藤がタッグを組んでいた故バイソン・スミスさんの必殺技、アイアンクロースラムを炸裂させた。
だが8分過ぎ、丸藤に不知火を決められると三沢さんの得意技だったフェースロックで締め上げられピンチを迎える。さらにスイクルデスを虎王で迎撃され、エメラルドフロウジョンをくらってしまった。
それでも13分過ぎ、三沢さんに最後に出した技、バックドロップを発射すると大歓声が沸き起こる。だが、ムクリと起き上がった丸藤にローリングエルボーからのランニングエルボーを決められ3カウントを献上した。
試合後には丸藤と座礼し、握手でお互いの健闘をたたえ合った。引退セレモニーでは妻の佳余(かよ)さん、長男の雅大(まさひろ)さん、長男の妻であるアナさんから花束を贈られた。
マイクを持った齋藤は「プロレスリング・ノア、スタッフ、選手、そして俺の宝であるファンのみんな、チームノアありがとう! そして天におられる師匠、殴り込みで一緒に戦ってくれた大先輩、空手の師匠、そして青い目の仲間、本当にありがとうございます」と頭を下げた。
最後には「倒れず、疲れないのがプロレスラーだ。方舟に乗りし人生、我が心、夜空に輝く月に一点の雲なし!」と天を指さした。
齋藤は1990年12月20日のパイオニア戦志・愛知大会でデビュー。W★INGマットを経て、空手家として新日本プロレスに乗り込んだ。2000年10月からはノアに参戦し始め、24年間、方舟マットで多くの名勝負を生み出した。
バックステージでは左腕に巻かれた緑色のリストバンドを見つめ「今日三沢社長のガウンを持って入場しました。最後、天にあいさつした時に何となく『これだけ長い間よく頑張った』って耳に聞こえました。ありがとうございました!」と語り、笑顔で控室へ姿を消した。