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【宮崎祐樹連載#18】一軍には戻れない日々…水口栄二打撃コーチと磨き続けた打撃理論

東スポWEB 2024年11月21日 11時14分

【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(18)】プロ2年目の5月、僕はようやく一軍初出場のチャンスをもらうことができました。結果を残せず1週間足らずで再び二軍落ちとはなりましたが、後につながる貴重な経験をすることができました。

一軍在籍の短期間に水口栄二打撃コーチから指導を受けました。ここでプロに入って初めて水口さんが僕の打撃を「肯定」してくれました。手首の強さ、使い方を褒めていただき自信を持つことができました。

僕が二軍行きになったことで指導が受けられなくなるなと思っていると、一軍の成績不振などもあり水口さんが二軍の打撃コーチとして配置転換されてこられました。これは僕としては水口さんにじっくり指導してもらえるチャンスです。

「強い真っすぐを打てへんかったらパ・リーグでは生きていかれへんからな」と言われ、毎日、毎日、全体練習が終わってからも3時間以上ですかね、数々の打撃の引き出しを与えていただきました。

水口さんはバットのヘッドを投手方向に入れて、頭の上で円を描くようにバットをしならせて球を打ち返す独特のフォームで結果を残してきた巧打者です。現役時代は「近鉄いてまえ打線」で主に2番打者として活躍し、2001年のパ・リーグ優勝にも貢献されています。

水口さんには、そのヘッドの使い方を直伝していただきました。「パ・リーグで生きていくためには直球をしばきにいかなあかん。パのええピッチャーの真っすぐをはじく方法を教えたる」と言われ、本当にいろんな技術を授けてもらいました。

社会人のセガサミー時代には佐々木誠さんにいろんな引き出しを授けてもらいました。みっちり練習に付き合ってもらい、その打撃理論が身に染み付いていました。その誠さんの教えと水口さんの打撃理論は、リンクしていて僕にはハマりました。「なるほどね」と目からウロコです。

そうして僕はウエスタン・リーグで打ちまくりました。それでも一軍は成績不振で苦戦しており、そういう状態で僕のような若手が一軍に呼ばれることもなく時間は過ぎていきました。

9月22日に球団は就任3年目の岡田彰布監督に次のシーズンでは契約を行わない旨の通告を行いました。その時点では残り10試合の指揮を監督に要請していました。

ところが24日のロッテ戦(QVCマリン)で完封負けを喫し、球団ワーストタイの11連敗となりシーズン最下位が確定。翌25日、球団は一転、岡田監督と高代延博ヘッドコーチの途中休養を発表しました。

ファンの方々も覚えているんじゃないでしょうか。岡田監督が突然の発表に「オレも準備してなかったからな。だから、こんな格好よ。ネクタイしてくればよかったな」とラフなポロシャツ姿で取材対応されていた――。あの事件です。

監督とヘッドがダブルで現場からいなくなる非常事態です。残り9試合は森脇浩司チーフコーチが指揮を執ることになりました。僕は岡田監督にドラフトで獲ってもらった選手です。この時点ではもう、僕は2年でクビだなと本当に思っていました。

でも、この後に水口さんの指導の成果が結果となって表れることになります。

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