この20年間、日本の財政政策は財務省が目指す①増税、②社会保険料の増負担、③社会保障カットという基本政策どおりに進んできた。その結果、日銀を含む統合政府ベースでは借金を資産が上回り、財政収支も事実上黒字という世界で最も健全な財政状況が実現した。しかし、その裏側で税・社会保障負担率は50%近くに達して、国民生活は深刻な状況に陥った。
そうした財務省戦略に楔を打ち込んだのが、総選挙で議席を4倍に増やした国民民主党が掲げる「103万円の壁」の引き上げだった。基礎控除を75万円引き上げるという減税策は、大規模かつ恒久的という意味で、財務省が最も嫌う政策だ。早速、財務省は減税潰しに打って出た。
まずは大手メディアを使って「7兆円もの歳入欠陥が生まれて、財政が破綻する」、総務省経由で全国の知事に「税収減は地方行政のサービスを低下させる」と悲鳴を上げさせた。もちろん具体的指示はない。あくまでも暗黙の共謀だ。そうした言論統制は、評論家にも及んでいる。
そして、財務省は減税を提言した国民民主の玉木代表も潰しにかかった。不倫スキャンダルの発覚だ。これまでも、財務省に公然と反旗を翻した評論家や政治家たちは、ほぼ例外なく「始末」されてきた。脱税、窃盗、痴漢などの罪をなすりつけられ、失脚してきたのだ。だから、玉木代表の不倫スキャンダルが発覚したとき、私はすぐにラジオ番組で「やっぱりやってきましたね。不倫はもちろんいけないけれど、財務省のやり口はあまりに汚い」という発言をした。
これまでのパターンであれば、玉木代表が失脚し、国民民主が掲げた減税が雲散霧消するというのが、お決まりのパターンだった。ところが、玉木代表は生き残った。「プライベートの問題よりも、政策が大切」と多くの国民が判断したからだ。私自身の発言に対しても、これまでは「森永のいつもの陰謀論」と切り捨てられていたのが、まだ主流とは言えないまでも、「森永の主張は正しい」とするコメントがあふれかえったのだ。国民生活の疲弊は、財務省のやってきた増税正当化戦略が通用しなくなるほど、潮目を変えてしまったのだ。
いまの財政状況を前提とすれば、国民民主の主張する①103万円の壁引き上げ、②ガソリン価格のトリガー条項復活、③消費税率の5%への暫定引き下げを、すべて国債発行を財源に実施しても、何ら悪影響はない。経済成長で税収が増えるからだ。問題は、財務省がどこまで民意を受け入れるかにかかっている。