【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(19)】入団2年目の2012年、オリックスは最下位に沈むという事態になりました。前年は4位でしたが3位の西武とはゲーム差なし、勝率1毛差という僅差。69勝68敗7引き分けでシーズン勝ち越しという結果を残していました。
チーム力は確実にアップしていました。12年から韓国球界ナンバーワンのスラッガー・李大浩を補強するなど、評論家の方々から優勝候補に挙げられるほど戦力は充実していました。
ただ、9月に球団ワーストの12連敗を喫するなど終盤に大失速。順位が6位に決定した時点で岡田監督、高代ヘッドのトップ2人が一気に解任となりました。
その後は森脇チーフコーチが監督代行に就任。若手を起用する方針となり、僕は9月29日に再び出場選手登録されることになりました。
二軍でお世話になった水口さんに一軍行きを報告すると「頑張ってこいよ。俺はもう多分、帰ってきたらおれへんから」と言って送り出してくれました。
水口さんは岡田監督の早稲田大の後輩に当たります。岡田さんが退団ということはすなわち、ご自身もと覚悟を決めていたのでしょう。
水口さんは続けて「ただなぁミヤ、(一軍に)行ったら1球目からシバいてこいよ」と言葉を贈ってくれました。
9月29日、登録即スタメンでした。千葉マリンでのロッテ戦。1番・センターで僕は先発出場しました。「絶対に1球目を何でもシバいたる。真っすぐにだけは絶対に遅れへんぞ」。そうとだけ思って打席に立ちました。
水口さんとやってきたことが、その1球目をシバくための作業でしたからね。やってきたことを絶対に無駄にしないという強い気持ちで試合に臨みました。
ロッテ先発は藤岡貴裕でした。東洋大時代には菅野智之(東海大から巨人)、野村祐輔(明大から広島)とともに大学ビッグ3と注目された左腕です。横浜、楽天、ロッテの3球団競合で11年ドラフトで入団してきた鳴り物入りのルーキーです。
初球、真っすぐにタイミングを合わせてフルスイングしました。藤岡の投球はカットボールだったんですけどね(笑い)。少し泳ぎましたが、打球は左越え先制ソロとなってくれました。プロ初安打初本塁打を初球先頭打者で記録したのは、NPB史上初のことです。
この試合では僕は3安打3打点、プロ初盗塁も記録しました。初めてのヒーローインタビューも経験させてもらいました。ただ、何をしゃべったのか今でも全然、覚えてないんですよね。もう興奮し過ぎて。記者の方からNPB史上初の快挙だと知らされましたが、そんなこと意識して結果を出せるはずはないですし、本当に覚えてないですね。
水口さんに「初球からシバいてこい」と言われた、その言葉を忠実に守って思い切り振りにいった。本当にそれだけでした。
そのシーズン、もう1本、僕はホームランを打っています。相手はソフトバンクの大隣憲司さんでした。12年は12勝、防御率2・03の実力者です。2年でクビを覚悟していた僕でしたが、大隣さんの直球をはじき返せたことで大きな自信をつかめました。
昇格後は7試合に出場し26打数8安打、2本塁打、6打点。5月に昇格した際には一軍の投手に全く歯が立ちませんでしたが、経験を糧に結果を残すことができました。わずかな期間が僕のプロ野球選手としてのクビをつないでくれたと言っても過言ではないですね。