【昭和~平成スター列伝】“世界の16文”として一時代を築いた故ジャイアント馬場さん(享年61)の命日となる来年1月31日に「ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会」(東京スポーツ新聞社後援)が後楽園ホールで開催される。偉大な故人をしのぶ大会であり、息子同然にかわいがった全日本プロレスで活躍した太陽ケアの引退試合も行われる。
1999年1月31日の死去から25年が経過したことに改めて時の速さに驚かされるが、では死去から25年前、つまり50年前の馬場は何をしていたのか。命日の1日前となる74年1月30日、日大講堂で、馬場は元NWAヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアとPWFヘビー級王座防衛戦を行っている。この一戦がドリーとの最後のシングル王座戦となった。
『馬場の水平カウンターをドロップキックで返してスープレックス、バックドロップと大技のラッシュ。ジュニアが幸先のいいスタートを切った(20分12秒)。だが2本目に入ると馬場がスパート。バックドロップにきたジュニアの左足に自分の右足をからませ懸命に耐える。必殺のかわず掛けでジュニアをキャンバスへ。スピニングトーホールドをかわしてモンキーフリップからなだれ込むようにタイに持ち込む(2分32秒)。決勝ラウンド、両者は場外でもつれ合ったまま、両者リングアウト(3分50秒)。ここでハプニングが起きた。ジュニアがNWAマソニック会長に「5分間の延長」を申し入れた。受けて立った馬場。死闘はさらに続く。壮絶なパンチ合戦。持てる技をフルに使った攻防はついに延長戦でも決着がつかなかった』(抜粋)
引き分けで13度目の防衛に成功した馬場だが、このシリーズは全日プロが勝負をかけ、史上初めてNWAの現王者(J・ブリスコ)、前王者(H・レイス)、元王者(ドリー)の3人を揃い踏みさせた豪華極まりないものだった。馬場はドリー戦の1週間前、1月23日長崎でブリスコとNWA&PWFのダブル王座戦を行い、引き分けている。
結局、ドリーとの日本でのシングル戦は生涯1勝1敗4分けと、互角に終わった。本紙OBでプロレス評論家の門馬忠雄氏は「馬場の海外での外交力の強さを示したシリーズ。ドリーとの戦いは力のバランスがいい時期に当たって、巧みにアメリカンプロレスを引き出し、日米プロレスの華を開かせたんじゃないかな」と語っている。
ドリーは、8月24日川崎のラストマッチで西村修と組み、史上最高齢の83歳で、大仁田厚組との電流爆破マッチに出陣してファンを驚かせた。馬場も天国から試合を見つめながらさぞ驚いたことだろう。 (敬称略)