元プロレスラーで国際プロレスや全日本プロレスなどで活躍したマイティ井上さん(本名・井上末雄)が27日午前9時59分、神戸市内で心室細動のため亡くなった。75歳だった。
兄・譲二さん(77)によると、井上さんは1年前まで宮崎・都城で生活していたが、糖尿病や腎臓に病を抱えるなど体調を崩していた。昨年11月19日に兄・譲二さんのもとに居を移し療養。元気を取り戻した。しかし27日、兄に付き添われた通院の途中で倒れ、意識を失った。すぐに救急車で病院に運ばれたが、帰らぬ人となった。葬儀はすでに家族葬で執り行われた。
幼少よりプロレスラーに憧れた井上さんは高校時代に国際プロレス入り。1967年7月に仙台強戦でデビューした。74年10月にビリー・グラハムを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得。その後はアニマル浜口らと組みIWA世界タッグ王座にも輝いた。変型セントーンの必殺技サマーソルト・ドロップが代名詞だった。
81年に国際プロレス崩壊後には全日本プロレスに移籍。NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座や世界ジュニアヘビー級王座などを獲得した。98年6月に現役を引退し、レフェリーに転向。2010年5月、ノア後楽園ホール大会「マイティ井上レフェリー引退記念興行」を最後にレフェリーからも引退した。長年にわたり、多くのファンから愛されたレスラーで、国際プロ時代に対戦経験のあるアンドレ・サ・ジャイアント(当時モンスター・ロシモフ)のよき相談相手でもあった。
最愛の弟との永遠の別れに、譲二さんは「小さいときからプロレス一筋。最後までプロレスの動画を見ていた。憧れのプロレスラーになれ、一番楽しい、素晴らしい人生だったと思う。悔いはないと思います」と故人をしのんだ。