【昭和~平成スター列伝】新日本プロレスのエースとして長年活躍してきた棚橋弘至社長が、2026年1月4日東京ドーム大会で現役を引退する。10月14日両国国技館大会のリング上で「棚橋のゴールを決めました」と発表した時は大きな衝撃を与えたが、社長業との兼任のとてつもない重責を考えれば、48歳での決断は「英断」と称賛されるべきだろう。
棚橋は1999年10月10日にデビュー。00年代にはライバルの中邑真輔(現WWE)とともに暗黒期にあった新日本をけん引した。06年7月にIWGPヘビー級王座初戴冠。団体のエースとして定着し、全身全霊のファイトと超人的な地方プロモーションで新日本をV字回復させる立役者となった。昨年末には現役選手として史上4人目の社長に就任して大きな話題を呼んだ。
暗黒期の中邑との活躍がなければ、業界の盟主となった現在の新日本の隆盛もなかった。その意味で2人の試合は00年代の黄金カードだった。歴史的初対決は05年1月4日の東京ドームのメイン。棚橋のIWGP・U―30無差別級選手権に中邑が挑戦した試合だった。本紙は1面と3面で詳細を報じている。
『宿命の初対決。結果の持つ重み、意味は戦う本人同士が誰よりもよく分かっていた。運命のゴングが鳴らされると中邑はオキテ破りの飛龍原爆。棚橋も投げっ放しジャーマン、シャイニングトライアングルだ。互いの必殺技を繰り出す攻防に場内は一気にヒートアップした。20分過ぎには中邑が4度目のドラゴンスリーパーをロープの反動で脱出するとスピアー、パワーボム、全体重を乗せたエルニーニョを浴びせた。しかし棚橋の壁は厚い。ギロチンチョークをしのぐと柔から剛にシフトチェンジ。三角絞めをパワーボムで投げ捨て「ウオー!」と絶叫。飛龍原爆でカウント2・9まで追い込んだ。しかし中邑は驚異の粘り強さでフェイントから逆十字固め、背後からスリーパー。意識もうろうとする棚橋。中邑は腕十字に移行し、棚橋からギブアップを奪い、24分25秒、死闘に終止符を打った。中邑は「僕らの戦いに未来も希望もある!」と語った』(抜粋)
まさに未来を象徴する試合だった。初対決で名勝負を展開した2人は共闘から敵対、やがて認め合う存在となり、各王座を争って団体を押し上げた。16年に中邑がWWEに移籍したため、2人の戦いは棚橋の9勝7敗1分けで終止符が打たれた。
棚橋は引退試合まで所属全選手とのシングル戦を希望している。それでも誰もが期待するのが中邑との再会マッチだろう。棚橋は「同じ時代を生きてきたライバルなので。いろいろな問題をクリアできれば」と慎重だがゴールまであと1年1か月。可能性を信じながらエースのラストランを胸に焼き付けたい。 (敬称略)