“出版不況”と言われるようになって久しいが、そうした中で驚異的なペースで本を出版し続けているのが落語家・立川談慶(59)だ。12月11日には実に27冊目の著書となる「狂気の気づかい」(東洋経済新報社)を発売する。本格派ならぬ“本書く派の落語家”と言われる談慶が出版を続けるウラには、師匠である故立川談志さんの影響が大きいという――。
27冊目となる「狂気の気づかい」には、「伝説の落語家・立川談志に最も怒られた弟子が教わった大切なこと」というサブタイトルが付けられている。それで分かるように談慶は談志さん直系の弟子だ。
初めて本を出版したのは2011年。ただ「これは絵手紙の本で、本格的に書き出したのは13年に出版した『大事なことはすべて立川談志に教わった』からですね」。
談志さんは11年11月に亡くなった。「やっぱり生きてるうちは書けないです。絶対文句言うし(笑い)。師匠が生きてる時に本を出した兄弟子は結構怒られて。『オレはそんなこと言ってねえ!』って。兄弟子が泥かぶってくれた形です」
13年以降は1年に1冊程度のペースで出版してきたが、17年から急にペースが上がる。16年までに出版した本は全部で5冊だが、17年に3冊、18年に1冊、19年に3冊。そして20年には5冊、21年には4冊も出版した。
談慶は「20年以降はコロナの影響ですよ。自粛ムードでみんな大変だったと思うけど、落語家はホントに悲惨。落語の仕事が全部なくなって収入もない。肉体労働しようかと思ったけど、カミさんが『小説書きたかったんなら時間あるじゃない』って言って…。それで書いたのが21年に出した『花は咲けども噺せども』って小説。3週間で書いたんです」
ここまで本を出版するウラにはやはり師匠の談志さんの影響が大きい。東京の落語界では、前座から二ツ目、真打ちと昇進する。普通は入門から3~4年で二ツ目に昇進するが、立川流は談志さんの判断がすべての基準のため、二ツ目になるのに9年半もかかった。
「当時はつらかったけど、前座がこれほど長くなかったらこんなに本を書けなかったと思う。いま思うとありがたかった」
談志さんも生前、多くの本を出版した。「いつも自宅で執筆してましたね。執筆に専念する日は『今日は前座、来なくていいから』と言われたり。執筆に向かう時は人を遠ざけて自分の世界に入っていく…。そんな心構えも教わりました」
もちろん前座が家にいる時に執筆することもあった。「『あ~、まとまんねえ!』とか、よく部屋から聞こえてきた。そういう部分は間違いなく影響を受けてます」
編集能力も磨かれた。「入門したばかりのころに師匠から本を1冊もらって『後で読もう』と思ってたら、2日後くらいに『何が書いてあった?』って聞くんですよ。『まだ読んでません』って言うとそこから冷たい。『分かった。遊んでろ』って…。それからは本をもらったらその日のうちに読んで、レポート用紙に内容をまとめて渡してました」
出版は依頼がある限り続ける予定で「今度、28冊目の目次をつくんなきゃいけない」と言うが、「ちょっと出しすぎの感じはある。今度は質を追うというか…。せいぜい1年に1冊くらい。これからの課題はやっぱりヒット作というか、談慶と言えばこれ、という本を出したい。ベストセラーというかロングセラーを」と目標を明かした。