【波瀾万丈 吉田秀彦物語(8)】体重無差別で柔道日本一を決める1994年の全日本選手権。準決勝で強敵の小川(直也)先輩に勝って、決勝に駒を進めました。相手は金野(潤)先輩(※1)です。
自分が投げられる不安はなかったけれど、腰が重くて、投げても飛ばないんですよね。審判も日大系の先生で「投げなきゃ勝てないな」と攻めましたが、カニばさみが飛んできた。終盤にはワキ固め(※2)をかけられ、左ヒジの靱帯を痛めてしまいました。あんなふうにくるとは思わなかったし、これで全部が狂った。左腕が使えなくなったんですから。大会後には手術するほどでしたからね。
試合が荒れてきて寝技になった際、金野先輩がケガをしていた左腕を狙ってきたんです。しかも右腕を狙うポジションだったのに、あえて左腕でした。それでキレました(笑い)。下から突き放すのに先輩を蹴り飛ばしました。ドロップキックです。「あ、これで反則負けかな」と思ったくらいでしたが、キレた自分は金野先輩とは畳の上でにらみ合いましたよ。
自分もカニばさみにいって試合が終わった時に技の数では自分が断然上でした。10分間、ずっと攻めまくっていましたからね。相手にかけられたのはワキ固め1回とカニばさみ2回だけ。背負い投げにも入って飛びそうになりました。それで腰を痛めたけど、技の数では上なので「勝った」と思いましたが…旗判定で負けました。今となってはカニばさみで1度尻もちをついたのが、取られたのかなあと思います。
自分と金野先輩のにらみ合いの場面は話題になりました。いまだに「あの試合は面白かった」と言ってくれる人がいますが、面白くさせるだけじゃダメなんです。やっぱりあそこまでいったら勝たないと…。自分でも当時は体が動いていたし、それから全日本選手権に出場して優勝するチャンスはなかったんで、勝っておきたかった。
金野先輩のワキ固めは(宿敵だった)小川先輩対策でした。俺の対策じゃないんだから使わないでほしかった(笑い)。もちろん金野先輩は、それだけ勝負に徹していたということ。「すごいな」と思うし、今の子たちはそういう試合をしないですよね。見てて「面白くないな」と思うことはありますよ。
あの当時の全日本選手権は会場が満席で「柔道日本一が決まる」という熱気にあふれていました。でも今はガラガラですから。まあ、自分は盛り上げるのは得意でしたけど(笑い)。そういった意味で盛り上げる人がいなくなりましたね。
※1 全日本選手権2度優勝。前全日本柔道連盟強化委員長。
※2 現在のルールではワキ固め、カニばさみともに反則技。カニばさみはもともと金野氏の得意技だった。