【平成球界裏面史 近鉄編83】平成14年(2002年)のタフィ・ローズは前年の55本塁打とまではいかないものの、46本塁打を記録。西武・アレックス・カブレラが55本塁打を放ったため本塁打王こそ逃したが、117打点でタイトルを獲得した。
ただ、この時期から退場回数がうなぎ登りで増加してしまう傾向があった。NPBで圧倒的な好成績を継続して残したことで気が大きくなってしまったわけではないだろうが、審判の判定に激こうする場面が目立つようになった。
この平成14年(02年)シーズンはオープン戦から見事に〝ヤンチャぶり〟を発揮している。3月12日の日本ハム戦の2回、フルカウントから関根裕之投手が投じた外角低めのフォークボールを見逃すも判定はストライク。見逃し三振という結果を受け、丹波幸一球審に向かい「ブル・シット(牛の排せつ物=クソ野郎)」と暴言を吐いてしまった。
丹波氏は大学まで硬式野球部を経験した後に米国・フロリダ州の審判学校に通い、通訳の実務も経験したという存在。ローズの言葉も当然、理解しているため即、退場を命じられてしまった。
この当時を振り返る時、ローズは「丹波さん、英語うまいからね。俺の言ってることバレてるよ。それ、忘れてたね。ごめんなさいね」と笑っていた。だが、本当に反省していたのか、開幕直後には退場にまつわる珍記録を達成してしまってもいる。
同年の開幕から1か月程度しか経過していない4月30日の西武戦だ。この試合でローズは1試合2退場を記録している。5回二死無走者の場面、カウント1ボール2ストライクから許銘傑の内角高め直球を見逃したものの、山本隆造球審の判定はストライク。これで見逃し三振に倒れると、英語で「◯ァッキンボール!」と言い放った。
山本球審はその後の取材で内容こそ明かさなかったものの、言葉での侮辱行為があったと退場を宣告した。ローズは退場したまま試合が進んだはずだったが、そこから約1時間後にまさかの第2ラウンドが待っていた。
9回、あろうことかローズは三塁側のカメラマン席に再登場。中村稔三塁塁審にヤジを飛ばし始めた。これを発見した山本球審から再度、退場を告げられるという事件がぼっ発し、ローズにはNPBから制裁金が課せられた。
相場なら10万円くらいのところだが、2度の御法度に20万円のペナルティー。まさかの倍付会計を支払わせられる事態となり、当時は大きく報道された。
ただ、意外なことにこの日の2回を加算しても、ローズの当時の退場回数はまだ4度。あと残り6シーズンを日本でプレーしているが、ここから10回の荒稼ぎでNPB史上最多の14退場という金字塔を打ち立てているのだ。
周囲の関係者が口をそろえて言うようにローズは「ナイスガイ」であることで一致している。にも関わらず審判の判定に激高して何度も何度も英語の禁止用語を活用し、退場を繰り返したことも事実だ。
勝ちたい、仲間を守りたい。その思いが強すぎて我を忘れる傾向をローズ本人も認識はしていた。「落ち着いて、落ち着いて。抗議する時はこれから日本語でやるから。ハハハハ」と言いながら〝退場癖〟が完治することはなかった。