【赤ペン! 赤坂英一】巨人・阿部監督が優勝旅行先のハワイで、来年から主将を置かないことを発表した。選手全員がキャプテンだと思えば、「とてつもないチームになる」「4連覇、5連覇もできる」というのだ。
巨人の歴史を振り返ると、確かに黄金時代にはほとんど主将制を敷いていなかった。実際、V9時代(1965~73年の9年連続リーグ優勝と日本一)は前半6連覇中が主将不在。後半3連覇中には長嶋が1年、王が2年主将を務めながら、王主将4年目の75年に最下位に沈んでいる。
76年は柴田が主将となって優勝したものの、1年限りで退任。その後、98年に突然吉村が主将に任命されるまで22年間、巨人は主将がいない時代が続いた。V9以降、80年代の主力だった中畑、原、桑田、松井、高橋らは誰も主将をやっていない。
なぜなら、中畑以降の主力は選手会長という“重責”を負っていたからである。70年代にも長嶋、王、堀内らが選手会長を務めてはいたが、当時の選手会は各球団の内輪の親睦会。それが80年に労組化され、85年に中畑が12球団選手会長に就任すると、経営者相手に“権利闘争”の矢面に立たなければならなくなったのだ。
原選手会長時代には初めてFA制度を確立。その後も長く資格取得年数をめぐって経営側との交渉や駆け引きを行っていた。最低保証年俸や大幅減俸の額を決めるに当たっては、各球団の選手会長が選手の意見を集約し、12球団総会で報告するという重要な任務もある。
そんな経緯から、巨人では長らく「選手会長=チームリーダー」という位置づけが続いていた。が、そこへ突然「労組の会長とチームの主将は別」として、主将制を復活させたのが98年の堀内ヘッドコーチ。当時選手会長は川相だったが、堀内ヘッドは吉村を主将に任命し「首脳陣に言いたいことがあれば吉村を通すように」という方針を打ち出した。
しかし、この年は3位止まりで堀内ヘッドは退団。吉村主将も1年で終わり、主将制復活は8年後の2006年、小久保の抜てきまで待たなければならなかった。
ちなみに、07年から8年続いた阿部主将時代は、2度の3連覇で6度もリーグ優勝し、日本一にも2度なっている。巨人の歴代主将の中ではずばぬけた“勝率”である。その主将を廃止すれば本当に4連覇、5連覇できるようになるのか、興味を持って来季の戦いを見守っていきたい。